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bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

『ミュージック・マガジン』7月号にディノ・ディサンティアゴのインタヴュー記事を寄稿しました。ぜひお読みください。

カテゴリ: カリブ海

Celia Wa  FASADÉ
サトウキビ畑にフルートを持って立つ女性の足元に、
シンセサイザー、サンプラー、コントローラーが置かれているジャケットに、
この音楽の内容がすべて表現されていますね。
言うならば、フレンチ・カリブのネオ・ソウルでしょうか。

セリア・ワは、パリ生まれのグアドループ人フルート、キーボード、マルチ奏者。
幼い頃からグアドループのアフロ・カリビアン音楽に親しみ、
8歳の時にグウォ・カで使われるカ(太鼓)と横笛の演奏を学び、
サン=タンヌのマルセル・ロリア音楽学校に進んで、
わずか12歳でキンボル・ビッグ・バンドでステージ・デビューを果たしたという人です。

その後セリアはパリに戻ると、12年にワ・エレクトロ・カルテットを結成し、
グアドループの伝統音楽にソウル、ヒップ・ホップ、ジャズ、
エレクトロを取り入れる試みを探求していきます。
反植民地運動にもコミットして、アフロ・フェミニスト・ブラス・バンドの
30ニュアンス・ド・ノワールのメンバーの一員として、
グアドループの文化遺産に対するコミットメントとアイデンティティを主張しています。

そんなセリアのデビュー作は、
10年共に活動してきたキーボード奏者のグザヴィエ・ベランと、
ドラマーのクリストフ・ネグリットのトリオを中心に、ツアーで一緒のギタリスト、
ダヴィッド・ウォルターズを加えたメンバーで制作されています。
レーベル・メイトでもあるダヴィッド・ウォルターズは、
マルチニークにルーツを持つマルセイユ生まれのフランス人音楽家で、
UKマナーのアフロビーツを経由したカリビアン・ソウルを標榜する人でもあるので、
セリアと立ち位置を同じくする音楽家といえます。

セリアの歌とフルートに絡むエレクトロ・サウンドは、ネオ・ソウル寄りのポップなもので、
グアドループ新世代らしい平明さがあります。
パーカッシヴなグウォ・カの野性味はない代わりに、
クリストフ・ネグリットのドラミングにグウォ・カのリズムがトレースされていて、
シンプルに整理したリズム・フィギュアに新しさを感じます。
シンセがレイヤーされたサウンドの遠景に、
カのリズムがたゆたうドリーミーさなんて、シャレているじゃないですか。

同じくグアドループ出身のパーカッショニスト、ロジェール・ラスパイユほか、
コラ奏者ウスマヌ・クヤテのコラがゲストでフィーチャーされています。

Celia Wa  "FASADÉ"  Heavenly Sweetness  HS267CD  -2025-

THE VOLCANO DANCEHALL ALBUMS COLLECTION
レゲエからロック・ステディやスカ、さらにメントまでさかのぼって
幅広くジャマイカ音楽を深掘りするドクター・バード。
CD氷河期の時代にもかかわらず、
これだけ精力的にリイシューCDをリリースを続けているレーベルって、
世界を見渡しても、ほとんど見当たりませんよ。
アフリカものなんて、CD制作をやめてヴァイナルに切り替えるレーベル続出で、
ガッカリ・落胆・絶望の日々がもう何年も続いているんですから(大泣)。

ドクター・バードの編集CDは、オリジナルLPを中心に据えて、
同時期にリリースされていたシングル音源などで補強するタイプと、
レーベルやアーティストごとに関連音源を丁寧にすくい上げていくタイプがあって、
いずれも企画編集がしっかりしていて、とても信頼できます。
レア音源を集めただけのマニア向け編集に堕さないところがあっぱれなんです。
クレジットも完備、丁寧な解説のライナーノーツと申し分ありません。

ドクター・バードのおかげで、これまで未体験だったスカ、ロック・ステディ、ダブ、
ダンスホールをずいぶん聴くことができましたが、この2枚組もそんな一枚。
ダンスホールというスタイルを誕生させたヘンリー・ジュンジョ・ロウズのレーベル、
ヴォルケーノから生まれた名作4枚を2枚組CDにコンパイルしたもの。

レゲエの熱心なリスナーではないので、ジャケットはどれも見覚えはあるものの、
当時1枚も聴いていなくて、今回初めて聴きました。
バーリントン・レヴィ、ココ・ティー、チャーリー・チャップリンの4作、
あらためて聴いて、ダンスホール創成期のサウンドの素晴らしさに感動しました。
いまさらながらですけれど、ルーツ・ラディックスのスゴさを理解できました。

実はですねえ。
当時はルーツ・ラディックスを、そんなに良いと思えなかったんですよねえ。
グレゴリー・アイザックスを聴いても、過大評価じゃないかと思っていたくらい。
今回の2枚組CDで、ようやくルーツ・ラディックスのリディムの本質を掴んだ思い。
レゲエにあまり夢中になれなかったのも、ここらの感度が低かったからだな。

まさにこれこそレゲエ独特のグルーヴ。ダンスホールの真髄となったリディムの魅力が、
これでもかってくらい詰まった編集CDです。

Barrington Levy, Cocoa Tea, Charlie Chaplin
"THE VOLCANO DANCEHALL ALBUMS COLLECTION"
Doctor Bird  DB2CD143

Dédé St Prix  DÉDÉ & CO.jpg

『デデ・サン=プリ共同体』と題したデデ・サン=プリの新作は、
デデとゆかりのある新旧音楽家たちを曲ごとにフィーチャリングした
CD2枚組全33曲というヴォリューム満点のアルバム。

マルチニーク伝統ポップの先頭をひた走るデデの土俵たるシュヴァル・ブワを軸に、
マルチニークのほかグアドループ、ハイチ、ガイアナ、
さらにはニュー・オーリンズやカメルーンからもゲストを迎えて
さまざまな趣向で調理したアルバムに仕上がっています。

曲ごとに編成がくるくる変わり、
シンセやホーン・セクションが加わるズーク・サウンドから、
パーカッションとコーラスのみでコール・アンド・レスポンスを繰り返す
素朴な伝統サウンドまで、カラフルなサウンドで楽しませてくれます。
フォーマットは多彩でも、いずれの曲でもパーカッシヴなタンブー(太鼓)の響きが
耳残りするところが、デデのアルバムのいつもの良さですね。

オープニングであるディスク1の1曲目にフィーチャリングされたのは、
なんとカッサヴのヴォーカリスト、ジャン・フィリップ=マルテリー。
90年代ズークを象徴するシンセ音が、めちゃくちゃ懐かしいんですけれど、
まったく古く聞こえないのが不思議。
ワールド・ミュージック時代のズークを思い起こさせるシンセ・サウンドも、
一周回って新鮮になったってこと?

続いて2曲目では、涼しげなアコーディオンの響きが流れてくるんですが、
なんと弾いているのが、大ヴェテランのローランド・ピエール=シャルル。
ローランドは19年に亡くなっているので、これはいつ録音したものなんだろう。
さらにこの曲には、ハイチの名コンパ・バンド、マグナム・バンドのギタリスト、
ダドゥ・パスケが参加しているのもビックリで、
フレンチ・カリブ音楽マニアにはたまらない人選ですね。

この曲では、女性ズーク・シンガーのドミニク・ロルテが歌っていて、
フィーチャリングされる歌手やラッパーは若手が中心となっているものの、
ハイチの名シンガー、トト・ネセシテが歌う曲や、
ベレの重鎮シュリ・ヴィラジョワがシブいノドを聞かせる曲もあります。
ほかにも、ズーク・サウンドの一時代を築いたアレンジャーでベーシストの
フレデリック・カラカスなんて懐かしい人も参加していて、
デデの人脈がよくわかりますね。

そんな新旧音楽家とともに、デデのクセのある声とネチっこい歌声が、
マルチニーク芸人よろしく大衆芸能の味わいを溢れさせている新作ですけれど、
シュヴァル・ブワ以外の曲でも、聴きものの曲があります。
パトリック・マリー=ジョゼフのピアノをフィーチャーしたメレンゲ ‘An Tjè Koko’、
アンゴラ出身のパーカッショニスト、ルカ・レボルダンが参加したキゾンバ ‘Angola’、
作曲者にエルヴェ・セルカルの名があるクレオール・ジャズ ‘Nous Voulons’ など、
アルバムの良きフックとなっていますよ。

Dédé St Prix "DÉDÉ & CO" Couleurs Music Publishing CM504 (2024)

Etienne Charles  CREOLE ORCHESTRA.jpg

トリニダードのトランペット奏者エティエン・チャールズの新作は、ビッグ・バンド。
これまでのエティエンの作品に通底していた、
トリニダード音楽のルーツ探求というテーマに加え、
スウィング・ジャズ時代へさかのぼる伝統ジャズを重ね合わせて、
「故きを温ねて新しきを知る」アルバムになりました。
https://bunboni.livedoor.blog/2023-12-24
https://bunboni.livedoor.blog/2023-12-26

テーマだけ見ると、学究的な堅苦しいものかと勘違いされそうですが、
親しみやすいエンタメ作品に仕上げるところが、エティエンの良さ。
ゴキゲンなオープニングは、
エティエンのオリジナルのカリプソ(その名も「オールド・スクール」!)。
クアトロのリズム・カッティングがグルーヴのカクシ味となって、
冒頭からいきなりウキウキ気分で盛り上がります。

本作を制作したのは、エティエンが共演している
ジャズ・ヴォーカリストのルネ・マリーから、ステージ用に
ビッグ・バンド・アレンジを依頼されたことがきっかけだったそうです。
そのルネ・マリーも参加して4曲を歌っていますが、
そのうちの1曲はルネ・マリーが15年に出した
アーサ・キットのトリビュート・アルバムに収録された
‘I Want To Be Evil’ (本作では ‘I Wanna Be Evil’ と表記)の再演。

ジャングル・ビートからラグタイム・ピアノも飛び出す、
53年のスウィング・ジャズ・ナンバー。
キャサリン・ダナム舞踊団からキャリアをスタートさせた
アーサ・キットの持ち歌をセレクトしたあたり、
エティエンのカリビアン・ルーツ探求のベクトルとも、ぴたり符号しますね。

そしてこの曲と呼応するタイトルの、
エティエンのオリジナル曲 ‘Douens’ にも注目です。
ドゥエンとは、トリニダード・トバゴの民間伝承に登場する
洗礼を受ける前に亡くなった子供たちの悪霊。
子供たちを罠にかけ、安全から遠ざけ、時には死に至らしめます。
この曲は、エティエン09年作 “FOLKLORE” に収録されていました。

このほか、マイティ・スパロウのカリプソあり、
モンティ・アレキサンダー作のレゲエ・ジャズあり、
スウィング時代の代表曲 ‘Stimpin' At The Savoy’、
ジミー・フォレストのブルース・ナンバー ‘Night Train’ というラインナップに
驚きはありませんが、ベル・ビヴ・デヴォーの ‘Poison’ には吹き出しちゃいました。

ニュー・ジャック・スウィングの90年の大ヒット曲を取り上げるとは!
ブロンクス出身のブランドン・ローズがラップしているんだけど、
93年生まれのブランドンは当時を知る由もない曲だよなあ。
しかもDJ・ロジックのターンテーブルまでフィーチャーして、
スウィング・リズムとシームレスにつながるビッグ・バンド・アレンジは痛快そのもの。

ミジコペイのクレオール・ビッグ・バンド・ジャズに魅了されたファンには必聴の、
エティエンのクレオール・オーケストラです。
https://bunboni.livedoor.blog/2019-04-11

Etienne Charles "CREOLE ORCHESTRA" Culture Shock Music EC010 (2024)

Kiki Valera Y Su Son Cubano.jpg

ひさしぶりに聴いたセプテート編成の伝統ソン。
キレッキレの一枚を見つけましたよ。

キキ・バレラは、ソン以前の原初のスタイルを受け継いだ
サンティアゴ・デ・クーバのファミリー・グループ、
ラ・ファミリア・バレラ・ミランダのリーダー、フェリックス・バレラ・ミランダの長男。
幼い頃から父フェリックスにキューバン・クアトロの指導を受けて
ラ・ファミリア・バレラ・ミランダの4代目メンバーとして活躍し、
サンティアゴ・デ・クーバの音楽学校、エステバン・サラス音楽院に通い、
15歳になる頃には国際的なツアーを行っていたという経歴を持つ人です。

La Familia Valera Miranda.jpg

ラ・ファミリア・バレラ・ミランダは、トランペットを配さないセステート編成で、
シエラ・マエストラ山岳地帯で演奏されていたソンの祖先とされる
ネンゴンという古いスタイルを伝える貴重なグループです。
87年に出たキューバのシボネイ盤の2枚組が、本格的なアンソロジーで、
99年にスペインでCD化されたときは嬉しかったな。

キキ・バレラのグループは、トランペット入りのセプテートの標準編成で、
ゲストとしてアダルベルト・アルバレス・イ・ス・ソンやNGラ・バンダで
歌手を務めたココ・フリーマンに、スパニッシュ・ハーレム・オーケストラの歌手、
カルロス・カスカンテを配すなど、豪華なメンバーを揃えています。

レパートリーはイグナシオ・ピニェイロ、コンフント・マタモロス、
アルセニオ・ロドリゲスのクラシックから、父フェリックス・バレラ・ミランダの曲、
コンパイ・セグンドの曲などの12曲。

ソンやグァラーチャといったキューバ音楽の伝統をたっぷり味わえるんですが、
アレンジはかなり現代的で、トランペット2台で合奏する曲もあります。
キキのクアトロやギター・ソロのタイム感やフレーズには、
明らかにジャズの影響がみてとられます。
21世紀ならではのモダンなソンならぬヌエボ・ソンですね。

Kiki Valera Y Su Son Cubano "VACILÓN SANTIAGUERO" Circle 9 C90007 (2024)
La Familia Valera Miranda "ANTOLOGIA INTEGRAL DEL SON" Virgin 8485622 (1987)

Josean Rivera  FINO SONEO… ELEGANTE CANTAR.jpg

シアトルのインディ・サルサ・レーベル、サルサネオの新作です。
流行に左右されず、王道のサルサを追求する制作ぶりは、
「マーク・アンソニーなんて聴けるかいっ!」という頑固にも程がある
老害ファン(←ワタクシです)の信頼を裏切ることがありません。

22年に出たリコ・ウォーカーの続き番号なので、
23年には新作を1枚も出さなかったみたいですね。
https://bunboni.livedoor.blog/2023-04-22
それだけこのレーベルが1作1作を丁寧に制作している証拠でしょう。
本作もアレンジャーだけで7人もいるほどなので、
その力の入れようは、たいへんなものです。

プエルト・リカンのホセアン・リベーラは、ぼくは初めて聴きましたが、
これが5作目といい、実力のほどが伺える歌いっぷりに頬が緩みました。
トニー・ベガ、ティト・ロハス、アンディ・モンタネスのバックでコロを務め、
99年から02年までラフィー・レアビのラ・セレクタに在籍した歌手で、
ラフィ・マレーロの14年と16年のアルバム2作に参加したのち、
16年に自己のオーケストラを結成、17年にデビュー作を出した人だそう。

キャリアに裏打ちされた確かな歌唱力で、
オールド・スクールな王道サルサを堪能できる逸品。
こういう作品が一年置きにでも届けてくれれば、
ポップスに寄せたサルサを聴く必要なんて、ぼくにはないのです。

Josean Rivera "FINO SONEO… ELEGANTE CANTAR" Salsaneo 0846 (2024)

José Privat  CLIN D'ŒIL.jpg José Privat  TOUCHE CARAÏBE.jpg

ジョゼ・プリヴァの新作!?
うわぁ、いったい何年ぶりかと思ったら、21年ぶりですか。
03年の前作 “TOUCHE CARAÏBE” は、大の愛聴盤でした。

マラヴォワの元リーダー、ポロ・ロジーヌが亡くなり、
ポロに代わってピアノの後任を引き継いだジョゼ・プリヴァ。
いまではグレゴリー・プリヴァのお父さんという方が通りが良くなったかな。
https://bunboni.livedoor.blog/2018-01-22

ジョゼはマラヴォワではピアニストというポジションですけれど、
実はオルガニストでもあるんですね。
ビギン・ジャズのピアニストでオルガンも弾く人って、ジョゼ以外知りませんが、
81年のソロ・デビュー作のタイトルは、
“ORGUE BIGUINE” (『オルガン・ビギン』)だったのでした。

デビュー作から83年の2作目、03年の3作目のすべてで、
ピアノとオルガンの両方を弾いていました。
曲ごとに弾き分けるのではなく、オーヴァーダブで両方とも弾いているんですね。

03年の “TOUCHE CARAÏBE” は、
そのピアノとオルガンの両刀使いを発揮した傑作でした。
マラヴォワの代表曲 ‘Jou Ouvé’ やアレクサンドル・ステリオの古典曲
‘Sepen Meg’ といったビギン名曲がいいのは当然として、
ジョゼのオリジナル曲がすごく良いんです。

エレガントな ‘Rev'ri Bô Dlo’ やチャーミングな ‘Antan Gen Lontan’ が、
クラシックなビギンの味わいなら、アルバム・ラストの ‘Biguine Funk’ では、
タイトルどおり、現代にアップデイトされたビギンに仕上がっていました。

そして21年ぶりの新作は、ハモンドB3オルガンのみに専念し、
オルガニストとしての作品に仕上げています。
ベース、ギター、ドラムスはいずれもマルチニークの若手で、
プロデュースとアレンジを務めた息子のグレゴリー・プリヴァが2曲のみで、
ピアノを弾いています。

ジョゼはフランスのオルガニスト、エディ・ルイスに影響を受けたと語っていて、
今作にもエディ・ルイスにオマージュを捧げた
オリジナル曲 ‘Hello Louiss’ が収録されています。
ちなみにピアノは、マリウス・クルティエから影響を受けたとのこと。

このほか、マラヴォワの20年作 “MASIBOL” に収録された
ジョゼのオリジナル・インスト‘Rêverie Bo Dlo’ を再演していて、
ヴァイオリン・セクションを前面に出したマラヴォワ・ヴァージョンとは変えた、
オルガン・ビギンに仕上げています。
https://bunboni.livedoor.blog/2021-01-12

José Privat "CLIN D'ŒIL" Aztec Musique CM2925 (2024)
José Privat "TOUCHE CARAÏBE" Hibiscus 20307-2 (2003)

Sam Castendet  INTÉGRALE 1951-1954.jpg

マルチニークのクラリネット奏者兼楽団指揮者のサム・カスタンデが残した録音で、
ゆいいつ未CD化だった51~54年録音の19曲がついに復刻されました。
これまでの復刻はフレモオ・エ・アソシエからCDが出ていましたけれど、
今回はなぜかアズテック・ミュージッキからのリリース。

ジャケット裏がフレモオ・エ・アソシエとまったく同じデザインなので、
当初フレモオ・エ・アソシエからリリースされるはずが、
急遽販売先を変えて出したかのよう。
事情はよくわかりませんが、これでサム・カスタンデの
53年の未発表2曲を除く全録音が、完全復刻したことになります。

サム・カスタンデは、1906年12月30日マルチニーク北部のサント=マリー生まれ。
最初手にしたのはフルートで、13歳の時、フォール・ド・フランスのゴーモン映画館で
無声映画の伴奏を務めていたアレクサンドル・ステリオを聴いて衝撃を受け、
16歳の誕生日に母親からプレゼントされたクラリネットを生涯の楽器にします。
パリへ先に渡っていた兄を頼ってサムも24年にパリへ向かい、
整備士の見習いを始めます。

サムに大きなチャンスが巡ってきたのが31年。
パリ植民地博覧会で大きな話題を呼んでいたアレクサンドル・ステリオ楽団でしたが、
ステリオはパリで開店を準備していた自分のキャバレー「タガダ・ビギン」に力を注ぐため、
植民地博覧会の代役を探していて、サムにその白羽の矢を立てたのでした。
音楽家としても楽団指揮者としてもまだ未熟だったものの、
サムはこのチャンスをものにして、大きな反響を呼んで博覧会閉幕まで務め上げ、
華々しいデビューを飾ったのでした。

Sam Castendet et Son Orchestre Antillais  INTÉGRALE 1950.jpg

36年にジャズ・サム・カスタンデの名義でコロンビアに4曲を初録音。
ビギンとルンバの2曲は50年録音をまとめた “INTÉGRALE 1950” に収録され、
フォックストロットの2曲は、 “SWING CARAÏBE” に収録されました。
第二次大戦中には徴兵されて、40年にドイツ軍の捕虜となるものの、
そこから逃亡してパリに戻って音楽活動を再開。
モンパルナスのキャバレー「ラ・カンヌ・ア・スクレ」で人気を博します。

BIGUINE À LA CANNE À SUCRE 1946-1949.jpg

2度目のレコーディングは46年12月。コロンビアとの独占契約で、
サム・カスタンデとオルケストル・クレオールの名義でビギンばかり6曲を録音し、
この時からトロンボーンの名手アルベール(アル)・リルヴァと、
リルヴァとコンビの女性歌手マルティナルがメンバーに加わります。
49年10月の3度目のレコーディングでも6曲が録音され、計12曲は
“BIGUINE À LA CANNE À SUCRE 1946-1949” に収録されました。

そしてこの次の録音が50年6月19・21日と12月1日に行われた3回のセッションで、
この時の計18曲が先の “INTÉGRALE 1950” で復刻されました。
このセッションからクラリネットはモーリス・ノワランに任せ、
サムはドラムスと歌を引き受けています。

今回復刻されたのは、サムの最期の録音となる
51年から54年にかけて4回のセッション。
アル・リルヴァとマルティナルのコンビが抜けて、
新たにピエール・ラシンがトロンボーンに参加。
65年に音楽界から引退したサムにとって、最後の録音となりました。

この間にあたる54年にカスタンデ楽団は、
カメルーン、ガボン、フランス領コンゴ、ベルギー領コンゴをツアーして大歓迎を受け、
独立前のアフリカ諸国に西インド諸島の音楽を種付けする役割を果たしました。
当時のアフリカ諸国にはカスタンデ楽団のSPが輸入されていて、
50年に録音した ‘Touloulou’ は、
ブラザヴィルのラジオ局のテーマ曲になっていたほどでした。

アフリカ・ツアーの成功からパリへ戻り、
12月に最後のレコーディング・セッションを行った後は、
表立った演奏活動から身を引き、プライヴェートなパーティで演奏していましたが、
56年にはエジプトのファルーク国王からの招きでカイロの晩餐会で演奏するなど、
なかなか多忙な生活から離れることができませんでした。

サムは思い切って音楽界からの引退を考え、マルチニークに土地と家を所有し、
定期的に妻に隠れて休暇を過ごしていたものの、名声は彼をほっておかず、
マルチニークへの観光客誘致のために一肌脱ぐことを求められ、
61年と62年にバレル・コペとともに、
フォール・ド・フランスのカーニヴァルの演出をします。
https://bunboni.livedoor.blog/2014-05-15

ようやく65年になって政府機関の運転手としてサラリーマンの仕事を得て、
音楽活動から完全に身を引き、念願の引退を果たしたのでした。
80年からはパリを離れ、ラ・ロシェルの海辺で隠遁生活を送ります。
マルチニークに滞在中の92年に脳卒中で倒れ、
4ヵ月後の93年1月18日、フォール・ド・フランスの実家で死去、
86歳の生涯でした。

Sam Castendet et Son Orchestre Antillais "INTÉGRALE 1951-1954" Aztec Musique CM2866
Sam Castendet et Son Orchestre Antillais "INTÉGRALE 1950: FESTIVAL BIGUINE 1950" Frémeaux & Associés FA5028
Sam Castendet, Moune De Rivel, L’Exotique Jazz "BIGUINE À LA CANNE À SUCRE 1946-1949" Frémeaux & Associés FA051

Romain Virgo  THE GENTLE MAN.jpg

歌えるシンガーですねえ。
ロメイン・ヴァーゴは、アイドル的な存在として10代の頃から人気を博し、
いまやジャマイカを代表する本格派のシンガーになった人とのこと。
今回このアルバムを聴くまで、まったく知りませんでした。
ルーツ・レゲエ・リヴァイヴァルで一時期レゲエへの関心が蘇ったこともあったんだけど、
ロメイン・ヴァーゴのようなレゲエとR&Bの中間というか、
コンテンポラリーなレゲエは、自分の視界に入ってきませんでした。

新作は、まさにそんなレゲエ門外漢の耳にも届く充実作。
歌えるシンガーの証は、その伸びやかな歌いぶり。
スムースなヴォーカル・ワークながら、声に厚みがあって、
陰影がくっきりと刻まれるところがいいじゃないですか。
クリアな発声から放出されるエネルギーが、歌に説得力を宿しています。

ジェシー・ロイヤル、ケイプルトンといったヴェテランを招いた曲のほか、
ナイジェリアのダンスホール・シンガー、パトランキングを
フィーチャーしたトラックでは、流行のアフロビーツをやっています。
ルーツ・レゲエも、ダンスホールも、アフロビーツも自在にこなせる柔軟性ばかりでなく、
どのようなスタイルでも芯の通った歌いぶりを聞かせるのが、この人の強みですね。

Romain Virgo "THE GENTLE MAN" VP VPCD2736 (2024)

Fulanito  EL HOMBRE MAS FAMOSO DE LA TIERRA.jpg Trio Reynoso.jpg

もう四半世紀前も昔の話ですけれど、
ペリーコ・リピアオという音楽が話題に上ったことがありました。
メレンゲとハウスを合体させたメレンハウスをひっさげて登場した、
ニュー・ヨークのドミニカ系アメリカ人グループ、
フラニートのデビュー作がきっかけだったんですが、
アコーディオンをフィーチャーしたオールド・スクールなメレンゲと、
最新ハウスとの組み合わせが、実にユニークでした。

そのアコーディオンをフィーチャーしたメレンゲが、
ペリーコ・リピアオという音楽だというんですね。
フラニートを結成したプロデューサーのウィンストン・デ・ラ・ローサの父親、
アルセニオ・デ・ラ・ローサがペリーコ・リピアオの名アコーディオン奏者で、
父親を引っ張り出してきたというのです。
アコーデイオンの生演奏とハウスを融合させた
フラニートのデビュー作は大ヒットとなり、グラミー賞にもノミネートされました。

ペリーコ・リピアオにがぜん興味がわいて、その後レコードを探してみたんですが、
ラジオが普及した50年代に人気を博したという
トリオ・レイノーソくらいしか見つかりませんでした。
トリオ・レイノーソが演奏するのは、小編成で演奏される素朴なメレンゲといったもの。
当時のバチャータ・ブームのなかで「ペリーコ・リピアオは古いバチャータ」という
紹介のされ方もしていたのですが、よく実態がつかめないまま、
その後忘却の彼方となっていました。

MERENGUE TÍPICO, NUEVA GENERACIÓN!.jpg

今回ボンゴ・ジョーがコンパイルしたアンソロジーが、まさにその通称ペリーコ・リピアオ、
正式にはメレンゲ・ティピコと呼ばれる音楽だということを知りました。
ライナーノーツの解説が充実していて、勉強になるのですけれど、
メレンゲ・ティピコは、1875年頃、ドミニカ共和国北部の港
プエルト・プラタ港に持ち込まれたドイツ製アコーディオンを契機として、
北東部丘陵地帯の下層民が生み出した音楽だったそうです。

独裁者トルヒーヨの30年代にメレンゲが大きく発展し、
都会のダンスホールでは上流階層がオーケストラ編成のメレンゲを楽しんだ一方、
ペリーコ・リピアオ(メレンゲ・ティピコ)は、アコーディオン、タンボーラ、ギロの3人が
ストリートで小銭を稼ぐスタイルを変えず、
下層芸能というポジションにとどまり続けていました。
トリオ・レイノーソが例外的にラジオで人気を博した程度で、当時のレコード会社は
ペリーコ・リピアオに関心を示さず、そのために録音もほとんど残されなかったんですね。

その風向きが変わったのが60年代から70年代で、
ドミンゴ・ガルシア・エンリケス、通称タティコが登場して、
ペリーコ・リピアオのリヴァイヴァル・ブームが巻き起こります。
さまざまなミュージシャンたちがタティコに続き、独立系のレコード会社やプロデューサーが
シングル盤を量産するようになったとのこと。
とはいえ、マイナー・レーベルがリリースするシングル盤で、
LPが出ることもほとんどなく、いつしか歴史の彼方へと消えていったんですね。

今回ボンゴ・ジョーが出した音源も、
ミュージシャンが保有していたシングル盤を提供してもらったり、
なかにはプライヴェート・プレスのものもあるということで、
商業録音が少なく、現存するシングル盤じたいが貴重であることがうかがわれます。

聴いてみれば、野趣に富んだメレンゲ・ティピコがたっぷり味わうことができ、
アンヘル・ビローリアやルイス・カラーフたちのメレンゲが、
いかに洗練された都会的な音楽かということがわかります。

ただしこのコンピレ、収録時間わずか32分8秒、
10曲収録という少なさは、リイシュー仕事としてはいかがなもんでしょうね。
もしコレクションがこれしかないというのなら、ちょっとお粗末だし、
すぐに第2集が続くのなら、小出し商売のそしりは免れんぞ。

v.a. "MERENGUE TÍPICO, NUEVA GENERACIÓN! - MERENGUE BRAVO FROM THE 60’S AND 70’S" Bongo Joe BJR098
Fulanito "EL HOMBRE MAS FAMOSO DE LA TIERRA" Cutting CD2304 (1997)
Trio Reynoso "EL ORIGINAL TRIO REYNOSO EN SU EPOCA DE ORO" LB LB0020

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