
その昔、エチオピア黄金時代の音源をエチオピーク・シリーズで聴きながら
湧きあがった疑問に、これほど確立されたサウンドが
70年代に突如花開くはずがないということでした。
当然その前史となる時代があったはずで、
そこにはどういう歴史があったのだろうと、好奇心をかき立てられたものです。
その後知ることができたのは、のちのエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世となる
ラス・タファリが1924年にエルサレムを訪れた際、
オスマン帝国の虐殺から逃れて疎開していた
アルメニア人孤児たちの楽隊を聴いて感激し、これら40名の孤児とともに
アルメニア人指揮者ケヴォルク・ナルバンディアンをエチオピアに招き入れたことが、
事の始まりだったということでした。
エチオピア音楽を近代化することとなったこのエピソードについては、
川瀬慈さんの『エチオジャズへの蛇行』(音楽之友社、2024)の
67~74ページに詳述されています。
エチオピア音楽の近代化にアルメニア人が深く関わったことは、
アフリカ大陸のどこの国にもなかったエチオピア唯一の出来事であり、
それがこれほどユニークな音楽を生み出す大きな要因になったことは間違いありません。
指揮にあたったケヴォルク・ナルバンディアンは、
甥のネルセスを含むアルメニア人音楽家の親族を
エチオピアに招いて学校や劇場で音楽の指導にあたらせ、
50年代にその後のエチオピア黄金時代の基礎を作っていきます。
アルメニア人孤児たちの楽隊が解散した後は、ネルセス・ナルバンディアンが
ハイレ・セラシエ1世皇帝劇場オーケストラをはじめ、
ポリス・オーケストラほか公立のオーケストラやバンドを指導し、
ゲタチュウ・メクリヤほか数多くの才能を育てたんですね。
ネルセスは教育者であるばかりでなく、マルチ奏者そして作編曲家として、
エチオピア固有の旋法を整理し、数多くの作曲を残しました。
ネルセスが指導した50年代のハイレ・セラシエ1世皇帝劇場オーケストラの音源は
ほとんど残されていないため、想像逞しくするしかなかったんですが、
04年にアディス・アベバを訪れてコンサートを開いた
アメリカのイーザー・オーケストラがネルセスの ‘Eyèyè’ をカヴァーしていましたね。
ライヴ盤のディスク2の1曲目で聴くことができます。
なんでもイーザーがアディスを初訪問したその時に、
ナルバンディアン家からネルセスの膨大な楽譜や
ラジオ放送の録音資料を託されたのだそうで、
以来イーザーは長年にわたって、ネルセスの作品に取り組んできたんですね。
その成果を示したのが本作で、ネルセスの作品を再構成しながら、
デューク・エリントンやギル・エヴァンスのジャズ・オーケストラのサウンドを
参照しつつ、現代化させています。
とりわけ11年のアディス・アベバを再訪問時のライヴ録音では、
メンバーのソロもたっぷり披露され、スリリングな演奏が楽しめます。
60年代に皇帝劇場オーケストラで歌手を務めたギルマ・ネガシュほか、
古いレパートリーも歌う若手女性歌手のベティ・Gなどエチオピア人ゲストも加え、
ネルセスの遺産を現代の息吹と共に蘇られせた意義深いアルバムです。
Either/Orchestra & Ethiopian Guests "ÉTHIOPIQUES 32: NALBANDIAN L’ETHIOPIEN" Buda Musique 860412 (2025)




















