after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

『ミュージック・マガジン』7月号にディノ・ディサンティアゴのインタヴュー記事を寄稿しました。ぜひお読みください。

カテゴリ: 西アフリカ

Djime Sissoko & Djama Djigui
エッジの立ったンゴニの響きに、
粗削りな女グリオの歌声がのってくる20数秒で、はや破顔一笑。
もう大好物なんですよ、こういうの。
ジェリ(グリオ)が面々と変わることなく伝えてきた、
オーセンティックなマンデ伝統音楽です。

叔父のババ・シソコやサンバ・トゥーレのアルバムで
ンゴニをプレイしてきたジメ・シソコのデビュー作。
20年にイタリアのジャズ・レーベルから出ていたんですね。
ジメの妻で歌手のアイチャタ・バに、リズム・ンゴニのブバカル・M・ジャバテ、
ベース・ンゴニのシディ・バ、ムクタル・シソコのパーカッションの4人による
ジャマ・ジギというグループを率いた名義のアルバムで、大勢のゲストが参加しています。

まず嬉しいのが、17年5月に亡くなったズマナ・テレタの参加。
生前の録音がいまなお時折出てくるズマタですけれど、
やっぱりズマタのソクがアンサブルに加わると、サウンドがぐっと深まりますよねえ。
滋味たっぷりのひび割れた音色が、たまりません。

ババ・シソコやサンバ・トゥーレも参加していますが、ぼくがシビれたのは、
‘Djuku Ya Magnie’ で歌っているサディブ・カンテという人。
最近の若いグリオから聴くことのできなくなった古い節回しで歌う人で、
味のあるヴォーカルを聞かせてくれます。

ジメ・シソコが弾くンゴニはアクースティックあり、アンプリファイドありで、
粒立ちの良いピッキングは、一級のプレイーヤーの証ですね。
またジメはタマも演奏し、ドゥンドゥンバやシェケレほかの
パーカッション・アンサンブルで聞かせる ‘Bi Tiew’ で
見事なタマの演奏を聞かせるほか、
ラスト・トラックではジメ一人によるタマ独奏を聞くことができます。

このアルバムは録音・ミックスがバツグンに良くて、
マンデ伝統音楽でこんなにキレッキレのサウンドが聞けるのはひさしぶり。
レコーディングは19年夏にバマコのボゴラン・スタジオで行われ、
同年9月にイタリアでミックスされたとあります。
しかし17年5月に亡くなったズマナ・テレタが参加しているのだから、
もっと前に録音したトラックも交じっているということなのでしょうね。

Djime Sissoko & Djama Djigui  "KABAKO"  Caligora  2272  (2020)

Talulu  BRAGA MARIA  Talulu  DJARFOGO ALIN TA BAI
昨年メンデス・ブラザーズを再発見して、
フォゴ島のさまざまな伝統音楽を知ることができました。
今回入手したカーボ・ヴェルデ音楽CDの中に、
メンデス・ブラザーズのレーベル、MBから出た男性シンガーのアルバムがあって、
調べてみたらこの人もフォゴ島の人。

タルルことアウグスト・メンデス・ピレスは、
53年フォゴ島サン・フィリーペ生まれで、本作が初アルバムとのこと。ソングリストには、
タライア・バシュ、ブラガ、ブリアル、カニザーデといったリズム形式が書かれていて、
フォゴ島の伝統音楽をベースとしているのがわかります。
カニザーデは仮面ダンスの音楽カニンザディと同じものでしょう。

それで思い出しましたよ、この人の07年作を持っていたことを。
棚からCDを取り出してソングリストを見ると、やはりブラガ・マリア、タライア・バシュ、
ミジュ・ナ・ピロン、ブリアル、カニザーデといったクレジットが見つかります。
カーボ・ヴェルデものでこんなに知らないリズムばかりのアルバムは初めてだったので、
記憶に残っていました。そうか、フォゴ島由来だったんですね。

02年作の初アルバムは、涼しげなアコーディオンに導かれて始まる
タライア・バシュの1曲目から、カヴァキーニョが刻むリズムに
テナー・サックスやソプラノ・サックスが絡んで、
軽快なダンス・リズムで楽しませてくれます。

プロデュース、アレンジ、エンジニアリングはラミロ・メンデスで、
バークリー卒のポップス職人の手腕は、さすがのハイ・クオリティ。
女性コーラスなども配して、ヌケのいいキレのあるサウンドを聞かせてくれます。
多彩なリズムを前面に打ち出したプロダクションが、成功していますね。

これに比べると、マルク・ゴンサルヴィスという人がプロデュースした
07年の2作目はシンセ音がチープで、だいぶ聴き劣りします。
サンビスタに似た味わいのあるタルルのスモーキーなヴォーカルは、悪くないんだけどねえ。
ちなみにこの2作目は、タルルが04年にアメリカへ渡ってから制作したアルバムです。

Raíz Di Djarfogo
タルルは90年代にフォゴ島の伝統音楽グループ、
ライース・ジ・ジャルフォゴを結成したオリジネイターだとのこと。
99年にオコラから出たライース・ジ・ジャルフォゴのCDがあるので
さっそくチェックしたんですが、ここにタルルの名は見つかりませんでした。
タルルのソロ・アルバムはこの2作しか残していないようですが、
現在もアメリカで音楽活動は続けているようです。

Talulu  "BRAGA MARIA"  MB  B0019  (2002)
Talulu  "DJARFOGO ALIN TA BAI"  no label  no number  (2007)
Raíz Di Djarfogo  "CAP-VERT"  Ocora  C560150  (1999)

Fidjus De Funaná
伝統フナナーの逸品を見つけちゃいました。
なんとコデー・ジ・ドナとビトーリという、フナナーのレジェンドが揃い踏みで参加。
ジャケットの後列左から2番目にコデー・ジ・ドナが、
一番右にビトーリが写っています。

二人のほかにもエルタヴィノ・プレタ、ジュ、カトゥータ、ジトと
計6人のガイタ奏者が参加していて、曲ごとに交代して弾いています。
グループというより、セッション・ユニットなのかもしれませんね。
01年に第2集が出ているようで、そちらにもビトーリが参加しているので、
これは見つけなきゃ。

この第1集は全10曲。どの曲もガイタ(アコーディオン)とフェローを伴奏に、
コーラスとコール・アンド・レスポンスするフナナーの伝統スタイルで、
打ち込み、ベース、ギターが控えめにサポートする曲もあります。

野趣たっぷりの歌声はコデー・ジ・ドナばかりでなく、
ビトーリの伴奏で歌うフェフェというシンガーの
投げつけるようなパワフルな歌いっぷりもスゴイ。
泥臭さ満点の歌い手ばかり揃っていて、もうたまりません。
伝統フナナー・ファンには感涙のアルバムです。

Fidjus De Funaná  "PILAN CATUTA"  Cape Disco  CD1009  (1998)

Paulinno Vieira  M’CRIA SER POETA
パウリーノ・ヴィエイラといえば、
80年代にカーボ・ヴェルデ音楽のエレクトリック化を図った天才プロデューサー。
かつてオスティナートが出したシンセサイズされたカーボ・ヴェルデ音楽のコンピでも、
ジャケットのアートワークが示すとおり、パウリーノの仕事を大きく取り上げていました。
https://bunboni.livedoor.blog/2017-09-08

セザリア・エヴォーラの大ヒット作をはじめ、80~90年代に
ものすごい数の作品をプロデュース、アレンジしたパウリーノですけれど、
96年に音楽業界から身を引いて、すっかり過去の人となっていました。
いまでは弟のトイ・ヴィエイラの活躍の方が目立つようになり、
パウリーノの仕事が忘れられていただけに、
海外から再評価されるようになったのは、意義深いことでしたね。

一方、マルチ奏者としては寡作家だったため、
ぼくもこれまでソロ作を聴いたことがなかったんですが、
パウリーノの初ソロ作と思われる84年作のCDを手に入れて、ビックリ。
モルナやコラデイラなどカーボ・ヴェルデの伝統歌謡をエレクトリック化したアルバムで、
その伝統とモダンの融合ぶりの鮮やかさは、感動ものです。

これを聴いてすぐに思い浮かんだのが、
バイーアから登場して70年代MPBシーンを沸かせた
オス・ノーヴォス・バイアーノスやア・コルド・ソン。
ロック世代のセンスと伝統をしっかり踏まえた足元の確かさが共通していて、
なによりサウンドのフレッシュさに、目を見開いてしまったんでした。
Reencontro
これを聴いていて、ずいぶん昔に入手して愛聴した
パウリーノ参加のセッション・アルバムを思い出しましたよ。
82年にバナのレーベル、モンテ・カラから出たセッション・アルバムで、
ヴォーカルにバナとジョシーニャ、クラリネット/サックスにルイス・モライス、
ピアノにシコ・セラというカーボ・ヴェルデのオール・スター勢揃いで、
ギター/オルガン/ドラムスにパウリーノ・ヴィエイラが参加したアルバムです。

セッション・アルバムの体で出たレコードですけれど、
その実態はバナが経営するレストラン、モンテ・カラのハウス・バンドとして
再結成されたヴォス・デ・カーボ・ヴェルデ。パウリーノ・ヴィエイラは
バナからヴォス・デ・カーボ・ヴェルデへの参加を求められ、
74年パウリーノはリスボンへ渡り、18歳でプロ・デビューしたのでした。

新しいサウンドを求めたバナの思惑通り、
パウリーノのエレクトリック・ギターはグループに新風をもたらし、
翌75年ミンデロへ帰ることになったルイス・モライスに代わって、
グループの音楽監督を任されることとなりました。
82年に出た本作には、カーボ・ヴェルデへ帰国したルイス・モライスも参加していて、
いわばヴォス・デ・カーボ・ヴェルデの同窓会アルバムだったのかもしれません。

ルイス・モライスのサックスが奏でるスローなモルナが、途中から倍テンポになって、
パウリーノ・ヴィエイラがサンターナ風ギターを弾きまくる ‘Slow Sanatana’なんて、
パウリーノでしかできない芸当。
ほかにも、サンバの大名曲 ‘Juízo Final’ のカヴァーも聴きもの
(D.R.のクレジットはヒドイねー。もちろんネルソン・カヴァキーニョ作)。

このアルバムを出した82年にパウリーノはヴォス・デ・カーボ・ヴェルデをやめていて、
その2年後の84年に同じバナのレーベル、モンテ・カラから出たのがこのソロ作です。
まずビックリは、ギター、ピアノ、ハーモニカ、シンセサイザー、ドラムス、ベース、
カバサ、トゥンバ、ヴォーカル、コーラスすべてパウリーノが一人で演奏していること。
ホーン・セクションとストリングス・セクション以外すべてパウリーノの多重録音で、
それでいてこのグルーヴ感はスゴイ。そして全曲パウリーノのオリジナルです。

‘Prêce Di Um Fidjo’ でギター・ソロにユニゾンでスキャットするかと思えば、
‘Dia Já Manxê’ のスラップ・ベースとシンセのリフで強力なグルーヴを生み出し、
‘Grande Fogue’ ではサイケデリックなギターが大爆発。
なんだか同時代のペペウ・ゴメスとオーヴァーラップしますよ。

かと思いきや、モルナの ‘M'Cria Ser Poeta’  ‘Odie Ê Pobreza’ では
甘い歌声を聴かせ、歌がめちゃくちゃ上手いのには驚きました。
こんなに歌える人がセザリア・エヴォーラをプロデュースしてたなんて、皮肉ですねえ。
多重録音なのに音楽がせせこましくなくて、演奏がとてものびのびとしている。
その軽やかなフットワークは、まさしく70年代のバイーア新世代に通じるものがあります。
いやあこれ本当に、名作『アカボウ・ショラーレ』に匹敵する作品なんじゃない?

Paulinno Vieira  "M’CRIA SER POETA"  Zé Orlando/Sons D’África  C112  (1984)
Reencontro  "REENCONTRO"  Zé Orlando/Sons D’África  CD129  (1982)

Tito Paris  FIDJO MAGUADO
ティト・パリスが87年に出したデビュー作を手に入れました。
シンガー・ソングライターとばかり思っていましたが、
なんとデビュー作では歌っておらず、ティトがギター、カヴァキーニョ、
ピアノ、シンセサイザー、パーカッションを多重録音したインスト・アルバムで、
ヴァイオリンのみアオ・マルティンという助っ人が参加しています。

そういえば、ティトが19歳でリスボンに渡ったのは、バナが経営していたレストラン、
モンテ・カラのハウス・バンド、ヴォス・デ・カーボ・ヴェルデに雇われたからで、
キャリアの始めは、ミュージシャンとしてスタートしたんですね。
その後作曲を始め、バナやセザリア・エヴォーラに曲を提供して
ティト・パリスのネーム・ヴァリューが上るようになり、
やがて自身でも歌い始めるようになったんでしたっけ。

このデビュー作はまだ作曲を始める以前のマルチ奏者時代の作品のようで、
ティト・パリスの自作曲はなく、カーボ・ヴェルデの歴史的詩人の
エウジェニオ・タヴァレスやB・レザの曲ほか、多くの伝承歌が取り上げられています
(ただしD.R.表記はアテにならないので、本当に伝承歌かどうかはわかりませんが)。
カーボ・ヴェルデ独立当初の国民議会議長を務めた
アビリオ・ドゥアルテが作曲したモルナもありますね。

ソングリストには13曲あるのにCDは5トラックと表示されるので、
あれれと思ったら、ソングリストの10~13曲目が1~4トラックで、
5トラック目が1~9曲目までをメドレーにしたものと判明。
CDのバックインレイもディスク面も間違って書かれています。
なお、サブスクではメドレーを Rapzódia De Mornas と書かれているのみで、
各曲の記載はありません。せっかくなので下に書いておきましょう。

Rapzódia De Mornas (19:33)
5.1 Noti Di Mindel (B. Leza)
5.2 Sês Odjos É Pret Doçe (D.R.)
5.3 Grito D' Povo (Abílio Duarte)
5.4 Ponta Do Sol (D.R.)
5.5 Papa Joaquim Paris (D.R.)
5.6 Serenata (Ney Fernanndes)
5.7 Fidjo Maguado (Jotamonte)
5.8 Hora Di Bai (Eugénio Tavares)
5.9 Dispidida  (D.R.)

前半コラデイラ、後半メドレーがモルナという趣向のアルバムで、
前半のコラデイラ・ナンバーはエレクトリック・ギターをメインに、
後半のモルナ・メドレーはピアノをメインに弾いています。
エレクトリック・ギターはエフェクターを通さないアンプの生音なので、
アクースティックに近いサウンドで、
全体に生音主体の爽やかな音作りとなっています。

カーボ・ヴェルデ音楽のインスト・アルバムで最初に感動したのが、
93年に出たマルチ弦楽器奏者のバウのデビュー作だったんですけれど、
あれより6年も前にこんなステキな作品が出ていたとは知りませんでした。

Tito Paris  "FIDJO MAGUADO"  Zé Orlando/Sons D’África  CD036  (1987)

Kankou Kouyate  N'Darila
トリオ・ダ・カリに続いてワン・ワールドが送り出したのは、
バセク・クヤテの姪である歌手カンテ・クヤテの新作。

カンテ・クヤテは、大きな話題を呼んだデーモン・アルバーンのプロジェクト、
アフリカ・エキスプレスの『メゾン・デ・ジューヌ』に参加するなど、
国内より海外での活動で知られる人。
スコットランドのフォーク・ロック系ギタリストやフランスのエレクトロ・ミュージシャンと
コラボした19年の作品( “KANKOU”)があったものの、
触手は伸びませんでした。

というのも、グリオ出身というわりに、そんなに歌のうまい人じゃないんだよね。
声量はあまりないし、歌の表情も乏しくて、どちらかというと平板。
グリオというと、どうしてもパワフルな歌を期待してしまうだけに、
その点でいえば、物足りなさは否めません。

とはいえ、ワン・ワールドの作品だならばと聴いてみたんですが、
カンクの歌はやっぱり弱さを感じさせるうらみはあるものの、
マンデの伝統にのっとりながら、アップデートしている姿勢が
はっきりと聴き取れて、好感の持てる作品となっています。

まずカンテが全曲のテキストを書いていて、
伝統的なマンデの哲学や社会道徳について歌っているところは、
クヤテ家という名門ジェリ(グリオ)出身ならではの頼もしさですね。

そして伴奏には、マンデ音楽を革新する立役者二人が揃いぶみ。
マンデ音楽の未来はこの人の肩にかかっているといって過言ではない
ンゴニ奏者のカンジャファに、
先日のトリオ・ダ・カリでも活躍していたベース・ンゴニ奏者のマドゥ・クヤテです。
このほかカンクの縁者であるバセク・クヤテがゲストで3曲参加し、
ギネアのコラ奏者セフディ・クヤテも2曲で参加しています。

1曲目から、ブルースのリックを交えチョーキングまで繰り出すカンジャファのンゴニに、
さりげなくハーモニーを付けたコーラスが飛び出すなど、
伝統マンデ音楽にはありえない新しい要素いっぱいで嬉しくなります。
ラスト曲はトランペットを加えて、
マンデ音楽とキューバ音楽のソンを掛け合わせたユニークな仕上がり。
落ち着いた曲調の全12曲、渋い作品ともいえますが、
オーセンティックななかに新しさを聴き取る者には、嬉しい作品です。

最後にとても気になることが一つ。
ワン・ワールドのサイトのページには、カンク・クヤテの曽祖父は
「老獅子」の名で有名なマリの人間国宝バズマナ・シソコと紹介されているんですが、
これ本当? シソコとクヤテでは家系がぜんぜん違うはずだけれど。
というわけで、ただいまレーベル・オーナーのカロリーナ・バジェホさんに問合せ中。
「調べるわね」と言ってくれているので、お返事を待ってます。

Kankou Kouyate  "N’DARILA"  One World  KKONE25  (2025)

Trio Da Kali  BAGOLA
だいぶ前にクロノス・カルテットと共演していたマリの3人組。
そのアルバムは一聴だにしなかったけれど、
今回は余計なゲストがいないので買ってみました。

トリオ・ダ・カリは、カセ・マディの娘のハワ・カセ・マディ・ジャバテに、
バセク・クヤテの息子でベース・ンゴニ奏者のマドゥ・クヤテ、
トゥマニ・ジャバテのシンメトリック・オーケストラのメンバーで、
ギネアが誇る最高のバラフォン奏者ラサナ・ジャバテの3人。

バラフォンとベース(じっさいはベース・ンゴニ)と歌だけという、
めちゃくちゃシンプルなフォーマットにもかかわらず、
これほど芳醇な音楽をクリエイトできるのは。
グリオ名門の家系出身ばかりでなく、
レジェンダリーな親の二世という出自に加えて、
革新意欲に富んでいるからでしょう。

ハワの歌いぶりは、グリオらしいしっかりとしたコブシを駆使しつつも、
聴く者を圧倒させるタイプの歌唱ではない温かさがあり、
その包容力のある歌に魅了されました。
そしてサナ・ジャバテのバラフォンはもう神業クラス。
ヴァーチュオーゾと呼ぶにふさわしいプレイを聞かせてくれます。
最後にボーナス・トラック扱いの1曲でカマレ・ンゴニ奏者が加わり、
少し華やかな雰囲気になって終わる聴後感もいいじゃないですか。

ここで披露される音楽は、マンデのジェリ(グリオ)が伝えてきた
伝統音楽からは、だいぶかけ離れたものです。
そのフォーマットやアレンジの斬新さに、ぜひ気付いてほしいな。

タイトル曲の1曲目なんて、いきなり8分9拍子という変拍子だし、
ハワが作曲した ‘Dadunkan’ はポップとさえいえるキャッチーなメロディで、
従来のマンデ伝統音楽からは、とても考えられなかったタイプの曲ばかり。
だいたいベース・ンゴニという楽器も新しければ、
マンデの伝統音楽にベースの役割などなかったのだから、
こういうフォーマットじたいが新しいんですよ。

伝統を継承しつつも、こうした斬新な音楽的な取り組みがされているところに
本作の価値があり、クロノス・カルテットと共演することより、
実りある音楽的成果が得られています。
英BBC制作の名アフリカ音楽ドキュメンタリー
『アンダー・アフリカン・スカイズ』の仕事で知られる民俗音楽学者でプロデューサーの
ルーシー・ドゥランが仕掛け人であることについては、今回は説明を省きましょう。

伝統音楽が古臭いものだと勘違いしている人に、
バセク・クヤテ&アミ・サッコの作品とともに、ぜひ聴かせたい良作です。

Trio Da Kali  "BAGOLA"  One World  TDKONE25  (2025)

Amamere
サントロフィの充実した新作を楽しんでいたところに、
新たなハイライフ・バンドのアルバムが届きました。
それがドラマーのリム・アカンドー・ジュニア率いるアマメレ。
ギター・バンド・ハイライフの流れを汲む、
ガーナイアン・ハイライフのヴィンテージ・サウンドをたっぷり味合わせてくれるバンドで、
一聴して頬がゆるんじゃいました。

サントロフィに続いてこういうバンドが登場してくれるとは、嬉しいですねえ。
復帰したヴェテランたちの活躍によって、
こういう若手ハイライフ・バンドの活動の場も広がったんでしょうね。
ヒップライフを通過した今、時代も一巡りして往年のハイライフ・サウンドが
ガーナの若者の間で再評価される時代になったことも、幸いしたのかもしれません。

リーダーのリム・アカンドー・ジュニアは、
70年代にカカイクのNo.2バンドでヴォーカルを務め、
のちにプリンス・スパロウズを率いたドラマー、リム・アカンドーの息子なのだから、
まさしくハイライフ・シーンを引っ張るにふさわしいサラブレッドといえます。

作曲はすべてリム・アカンドー・ジュニアが書いていて、
K・ジャシのシキ・ハイライフあり、ファンキー・ハイライフありと、
さまざまなハイライフのスタイルやガーナの伝統リズムを取り入れているところは、
サントロフィ同様。往年のハイライフ・バンドとの大きな違いは、
この楽曲のヴァラエティの豊かさにありますね。

リム・アカンドー・ジュニアは、アマメレを立ち上げる以前、
エボ・テイラーやパット・トーマスのバンドでもドラマーとして参加していて、
本作のジャケット裏にはエボ・テイラーがコメントを寄せているほか、
パット・トーマスも1曲で客演して歌っています。

個人的に嬉しかったのは、アフロビートの影がまったくなく、
100%ガーナイアン・ハイライフのサウンドで押している点。
国外ファン向けにアフロビートをやるのが気に食わない当方には、
花丸付けてあげたいところ。
また、ガーナイアン・ハイライフのヘリテイジともいえる、いなたいアーシーさがあること。
これはサウンドを洗練させたサントロフィにはないところで、
アマメレ独自の優れた個性だと思うな。

Amamere  "MAN SHALL BE FREE"  Afro Urban Project  LC102259  (2024)

Mdou Moctar  TEARS OF INJUSTICE
エムドゥ・モクタールの新作は、前作 “FUNERAL FOR JUSTICE” を
アクースティック・メインで再録音したアルバム。
強烈なエネルギーを放っていた “FUNERAL FOR JUSTICE” の全曲を、
曲順もそのままにアンプラグドで演奏したアルバムとなっています。

グッときたのが、あれほどラウドなロックだった曲を
アクースティック・ギターと控えめなエレクトリック・ギターで演奏しているのに、
まったく聴き劣りしない強度で、歌がこちらに迫って来たことです。

レコーディングは、メンバーが一つの部屋で一緒に座って、
ルーズなセッションを行いながら進めていったものだそうで、
事前の綿密なアレンジなどせず、わずか2日間で仕上げたといいます。
それは、いかに今バンドが充実しているかの証明でしょう。
アメリカをツアーしてアンサンブルに磨きがかかったのと、
ベース奏者として加わったマイケル・コルタンのプロデュースの力でしょうねえ。

エムドゥ・モクタールには以前にも、アクースティックなアルバムがありました。
その17年作のタイトル曲だった ‘Sousoume Tamachek’ が、
奇しくも前作と今作で再演されたわけですが、
そのアクースティック・ヴァージョンを聴き比べると、
特徴的なイントロのギター・リックや曲のアレンジはまったく変わっていません。

それでもだいぶ印象が異なるのは、もちろんエンジニアリングの違いもありますけれど、
エムドゥのヴォーカルが逞しくなりましたよね。
17年作ではアスフの情感が強く出ていて、
曲の歌詞のマリ、ニジェール、アルジェリアに分断された
トゥアレグの哀しみが強く伝わってきましたけれど、
今作のヴァージョンでは、哀しみより怒りの感情が強く伝わってきます。

アンプラグでもヘヴィネスに富んだ作品に仕上がったのは、
そんなトゥアレグのプロテストの姿勢がより明瞭になったからでしょう。
バンドのツアー中に、故国ニジェールでクーデターが発生し、
バズム大統領は退陣、軍事政権となって一気に政情は不安定化し、
彼らが一時期帰国できなくなったことと無関係ではなさそうです。
ニジェールではその後、フランス軍に次いで米軍も完全撤退してしまった現在、
彼らの今後のインターナショナルな活動にどう影響するのか心配です。

最後に、マタドール移籍後日本盤が出るようになったのは歓迎できますが、
「エムドゥ・モクター」と英語読みをするのは感心しません。
ニジェールはフランス語圏なので、モクタールと表記してほしいと思います。
ジュピター・オクウェスじゃなくて、ジュピテール・オクウェスというようにね。

Asake  Lungu  Boy

ずいぶんと統一感のないアルバムだなあ。
ヒップ・ホップ、グライム、EDM、アマピアノが
ぐちゃぐちゃになってるアフロビーツみたいな。
試聴し終えた第一印象はぱっとしなかったものの、
それでも購入したのは、ラストのボーナス・トラックの ‘Fuji Vibe’ ゆえ。 
アフロビーツのスーパースターがフジを取り上げたとあっちゃあ、
半世紀来のフジ・ファンとしては、ほっとけないでしょう。

時代遅れとなったフジを最新ジャンルのポップ・アイコンが取り上げたのは、
タイトルが示すとおり、アシャケが「スラムの少年」だったことを
明示したい意思の表れのようです。
フジの本質がコブシ音楽であることは言うまでもないですが、
アシャケはヴォーカル・ミュージックではなく、
ダンス・ミュージックとしてフジを捉えてるようですね。

アシャケはストリート・ホップと呼ばれるラップ・スタイルから
キャリアをスタートしていて、中産階級出のミュージシャンとは育ちが違う、
先輩のオラミデと同じストリート出身のラッパー/シンガーなんですね。
ストリート・ホップというのは、21世紀をまたいだあたりから盛んになった、
レゴス島の貧しい若者たちのストリート・カルチャーが生み出したスタイル。
疑似レゲエのガララというスタイルが自然発生的に広まり、
流行地が飛び火するたびに新しいサブ・ジャンルが生まれ、コント、スウ、
パンゴロ、ウォベ、ショキ、ザンク、シャクシャクなどと変遷していったそうです。
ぼくもこうした知識を文字情報で知るばかりで、じっさいの音は聴いたことがありません。
アンダーグラウンドのダンス・ミュージック・シーンの変遷というのは、
外部の人間には到底追い切れるものじゃないですよね。

その ‘Fuji Vibe’ は、前半は甘やかなシンセやサックスをレイヤーしながら、
フジに特徴的なヨルバ語の語り口で歌っているんですが、
フジほどコブシが回らないのは当然か。
どうやらこのヴォーカル・スタイルは、ランバと呼ばれるストリート・ライフを反映した
スラングを用いたもので、これがストリート・ホップの特徴なんだそうです。
アフロビーツ時代のフジは、コブシ回しじゃなくて、ランバで勝負するのね。

2分半を過ぎたあたりでBPMをグンとあげて、
フレーム・ドラム式のフジのトーキング・ドラム、サカラがリードする、
ダンス・ミュージックへと変貌し、アゲアゲのノリで突っ走ります。
フジをこういうグルーヴで聴かせるのは新味ですね。

このトラックばかりでなく、 トラヴィス・スコットとコラボした ‘Active’ でも、
フジ・ヒップ・ホップの曲がサンプリングされていますね。
ジャズマン・オロフィンがアデワレ・アユバをフィーチャーした
04年の曲 ‘Raise Da Roof’ です。
Musiliu Haruna Ishola SOYOYO
UKグライムのラッパー、ストームジーをフィーチャーした ‘Suru’ では、
ムシリウ・ハルナ・イショナの名盤 “SOYOYO” の収録曲
‘Ise Oluwa Ko Seni Toye’ の歌詞を引用して、
忍耐のメッセージを伝え、この曲をゴスペル風アンセムに高めていますよ。

若いアフロビーツ・ファンには関心のないところでしょうが、
フジやアパラを愛好してきた古手のヨルバ・ミュージック・ファンの耳には、
いろいろと刺さるところも多い作品です。

Asake  "LUNGU BOY"  YBNL Nation/Empire  ERE1069  (2024)
Musiliu Haruna Ishola  "SOYOYO"  Jooat  no number  (2004)

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