after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

Searching for good music of the world

カテゴリ: 中東・マグレブ

Amr Diab  2004  Amr Diab  2005
Amr Diab  2007 Amr Diab  2016
CDリリースがなくなって、すっかり縁遠くなってしまったアラブ歌謡。
在庫処分のセール品で20年も前のシャバービーを買うってのも、
なんだか悲しい話ですけれど、これまでロクに聞いてこなかった男性歌手に
手を伸ばしてみました。

正直言ってシャバービーは女性歌手ばっかり聴いていて、
エジプトの大スター、アムル・ディアーブすら、90年代のアルバム3作と
00年の大ヒット作 “TAMALLY MAAK” ぐらいしか手元にありません。
その後まったくフォローしてなかったので、ヒット作として見覚えのあるジャケットの
04年作 “LEARLY NAHARY” も初めて聴いたんですけれど、
これがメチャクチャ良くって、ビックリ。

エジプトの郷ひろみとかリッキー・マーティンと称されてきたアムルは、
アゲアゲのヒット曲が持ち味というイメージが強かったんですけれど、
このアルバムは泣きのバラード満載で、
胸をかきむしられるような切なさいっぱいの楽曲
(現地で「ロマンスィー」と呼ばれることは以前書きました)
での歌いっぷりにシビれました。えぇ~、こんなに歌ウマかったっけか。

ミディアム・スローで聞かせる泣かせ上手なコブシ回しに聴き惚れてしまい、
これ以降のアムルのアルバムも聴かなきゃと、
売れ残っていた05・07・16年作をまとめ買い。
思えばこの時代のシャバービーは、プロダクションがグンと向上して、
インターナショナル・レヴェルのサウンドになったんでしたね。

アムルがテレビ時代のスターとして、
エジプトのアイドルとなった90年代は(アムルは田原俊彦と同い年)、
まだジプシー・キングスの大流行の余波が大きく、
ルンバ・フラメンカの色濃いサウンドだったんですよねえ。

アル・ジールからシャバービーに衣替えしたあたりから、
アラブ歌謡サウンドの本格的な欧米化が進んで、
グローバル・ポップとして遜色のないサウンドを聴かせるようになりました。
だから00年を最後に聞かずにいたのは、これから美味しくなるところを
みすみす逃していたようなもの。

まとめ買いした05・07・16年作はどれも切なさ迫る楽曲が粒揃い。
ロック色の強いギターからオーセンティックなジャズ・ギターまで、
幅広いギター・サウンドを披露するジョアン・セロの活躍が光る
“KAMMEL KALAMAK” も泣かせる曲がたんまり入ってます。

“EL LILADY” は、1曲目のウチコミのドラム・サウンドがいただけないのを
除いて、ほかはOK。それから約10年を経た “AHLA W AHLA” では
プログラミングの扱いもすっかり上達して、
手を変え品を変えのプロダクションで楽しませてくれます。
遅まきながらアラブのスーパースターの実力を再認識しました。

Amr Diab "LEARLY NAHARY"  Stallions  ROSTA047  (2004)
Amr Diab  "KAMMEL KALAMAK"  Rotana  CDROT1104  (2005)
Amr Diab  "EL LILADY"  Rotana  CDROT1353  (2007)
Amr Diab  "AHLA W AHLA"  Nay For Media  no number  (2016)

Abdou El Omari  LOST TAPE-1980
こりゃまたスゴイものを掘り出してきたなあ。

モロッコのキーボード奏者、アブドゥ・エル・オマリが
76年に出したゆいいつのレコード “NUITS D´ÉTÉ” は、
欧米のコレクターたちの間でカルト化した人気盤でした。

17年にベルギーのラジオ・マルティコがLPリイシューして話題をさらいましたが、
これはその時以上のビッグ・ニュースなんじゃないかな。
なんといったって、ゴミ箱から放り出されたアブドゥ・エル・オマリの遺品のなかに、
驚くべき音源が詰まっていたというんだから、その発見の経緯からして運命的。

アブドゥ・エル・オマリは、大編成のオーケストラ伴奏が主流の70年代に、
ファルフィッサ・オルガン(イタリア製電子オルガン)を使って、
シャアビやグナーワなどモロッコの伝統音楽を革新するサウンドをクリエイトした、
まさしく異能と呼ぶべき才人。

サン・ラのコズミック・サウンドをホウフツさせる実験的なサウンドは、
当時のモロッコではあまりに先を行き過ぎていて、理解されはしなかったのでしょう。
エル・オマリが専業音楽家となることなく、
美容師として美容学校を開く道へと進んだことからも、それは明らかです。

けっして現地で再発見されることのなかったエル・オマリの才能は、
サイケデリック・ロック、スピリチュアル・ジャズ、電子音楽といった文脈から、
欧米のクレイジーなレコード・ディガーたちによる発掘が必然だったといえそうです。

エル・オマリが生まれ育ったアトラスの山々にこだまするエクスペリメンタルなサウンドは、
ハチロクの三連符ビートで、トランシーなグルーヴを巻き起こします。
ワー・ワー・ワトソンみたいなファンク・ギターと天上を飛び交うファルフィッサが交叉し、
湿り気を帯びたドラムスが重心の低いファンク・ビートを繰り出す、
モロッカン・エクスペリメンタル・サウンド。
よくぞゴミ箱から救出してくれたと拍手喝采したい、奇跡の逸品です。

Abdou El Omari  "LOST TAPE-1980"  Born Bad/Serendip Lab  BB191CD/SER018

Imarhan  ABOOGI Imarhan  ESSAM
アルバムを重ねるごとに滋味な味わいを深めているイマルハン。
新作を聴きながら、あらためていいバンドだなあと感じ入りました。
デビュー作、セカンドについては記事を書きましたが、
4年前に出た3作目を取り上げそこなったので、一緒に紹介しておきましょう。
https://bunboni.livedoor.blog/2018-12-02

3作目はイマルハンが建設したタマンラセット初となる
レコーディング・スタジオで制作されたアルバム。
タイトルのアブーギは、彼らの先祖が最初に定住した住居に由来し、
新しく構えたレコーディング・スタジオに名付けられています。

さまざまなアーティストとコラボした3作目では、
イマルハンと関係の深いティナリウェンから二人が参加。
アブダラ・アグ・アルフセイニが ‘Tindjatan’ を歌い、
ジャポネが ‘Tamiditin’ を歌っていますが、
ジャポネのしゃがれた弱々しい声には驚きました。
21年2月14日に亡くなったジャポネ最期の録音だったようです。

ほかにフランスに亡命したスーダン出身の女性歌手スラファ・エリアスや、
ウェールズのバンド、スーパー・ファーリー・アニマルズのグラフ・リースという
意外なゲストもいますが、イマルハンのサウンドにしっくりと溶け込めているのは、
しっかりとした交流があったうえでの共演だからなんじゃないかな。

デビュー作、セカンドとミックスを担当していたフランス人
サウンド・エンジニアのマクシム・コシネッツがプロデューサーに格上げされ、
シンセサイザーを演奏しているのが効果を上げています。
このサウンド・トリートメントは新しい変化ですね。

そして届いたばかりの新作は、サダムのつぶやきヴォーカルが、
心の奥底に沈み込んでいくような深い情感を伝えているのが印象的。
今回はゲストに歌わせることなく、
サダムが全曲でリード・ヴォーカルをとっているんですね。

そしてサダムのアスフ溢れるヴォーカルをバックから包み込むように、
前作以上のサウンド・トリートメントを加えているのが、本作の特徴。
今作では、プロデューサーのマクシム・コシネッツのシンセサイザーばかりでなく、
もう一人サウンド・デザイナーとクレジットされたエミール・パパンドリューが、
シンセサイザーやギターその他のサウンド・トリートメントを担っています。
‘Azaman Amoutay’ で聞かれるウードのような響きも、
ギターで弾いた録音を加工したのかもしれません。

さらにヴァリエーション豊かとなったサダムの曲作りと
サウンド・トリートメントが相乗効果を上げて、
さまざまな表情を見せる楽曲が揃った好作となりました。
ともすればエレクトロニックなトリートメントは、余計な装飾に堕し兼ねないんですが、
イマルハンの試みはトゥアレグ音楽の新たな可能性を切り開いています。

Imarhan  "ABOOGI"  City Slang/Wedge  SLANG50269  (2022)
Imarhan  "ESSAM"  City Slang/Wedge  SLANG50606  (2026)

Tania Saleh  FRAGILE
レバノンのシンガー・ソングライター、タニア・サレーの新作は、
サレーが設立した文化プロジェクト、タンチューンからのリリース。
前作 “10 A.D.” から4年ぶりとなるアルバムです。

前作同様、タニアとノルウェイ人ピアニストのオイヴィン・クリスティアンセンが
共同プロデュース。起用されたミュージシャンは前作と大幅に変わっていますが、
音楽性に変化がないのは、タニアとオイヴィンの音作りのねらいが明確だからでしょう。
ウードとカーヌーンにはチュニジア人音楽家が起用され、ネイ/クラリネットには、
パレスチナ人音楽家のムハンマド・ナジェムが起用されています。

タニアは前作をリリース後、二人の息子がマンチェスターとパリへそれぞれ留学し、
情勢不安なレバノンにただ一人取り残されたことから孤立を深め、
レバノンを去ることを決意して、22年にパリへ渡っています。
本作は、ディアスポラの声なき声を歌い綴った作品なのですね。

オイヴィン・クリスティアンセンによるアクースティックとエレクトリックを
ブレンドさせたサウンド・メイキングが絶妙です。
エレクトロニックなクールな音空間のなかに、
温もりの伝わる生楽器が感情の襞を織り上げていく様が鮮やかで、
前作以上の完成度をみせています。

ディアスポラの心情を投影したサレーのつぶやくようなヴォーカルが、
聴く者の胸奥深くに沈殿していくようです。
感情が不安定なまま放り出され、宙づりになった問いに答えが見出されないまま、
居場所を探して旅する人に、優しく寄り添ってくれるような作品です。

Tania Saleh  "FRAGILE"  Tantune  no number  (2025)

20241007 Gnawa 1.jpg

モロッコからグナーワの音楽家が3人来日して、
横浜元町でリラの夜を再現するというのだから、ちょっとびっくり。
イヴェント情報に疎くって、たいてい事後に知り地団駄踏むのが毎度なので、
事前に情報をキャッチできたのはラッキーでした。

来日するのは Younes Hadir、Karim Bazzi、Ahmed Baska という3人で、
知らない名前ばかり。ネット検索してみると、Younes Hadir のフェイスブックに、
ラッパーみたいなヒップ・ホップ・ファッションの兄ちゃんが出てきて、
別人かと思ったらどうやら本人らしい。メンバーで一番若そうにみえたが、
これでグナーワ名人マアレムの称号を持っているというんだから、わからないもんだなあ。

20241008_Gnawa Halwa.jpg

Karim Bazzi は、モロッコ文化をプロモートする非営利団体
アソシエーション・オヴ・ピュア・エナジー・モロッコ(APEM)の主宰者とのこと。
3人のうちゆいいつの黒人の Ahmed Baska を検索すると、
グナーワ・ハルワのCDジャケットが出てきた。
え!これ持ってるぞ、と棚から取り出したら、ジャケット写真の中央に
Ahmed Larfaoui "Baska" と書かれて映っているのが彼らしい。
イヴェント当日にCDを持参して確かめたら、間違いなくご本人。
「なんでこんな昔のCDを持ってるんだ!」とアフマドがめちゃ喜んで、
ほかの2人も「見せて、見せて!」と大騒ぎになりました。

イヴェントは、カリム・バジの短いMCで始まり、
ゲンブリを弾き歌うユネス・ハディールと、
カルカベとコーラスを受け持つカリム・バジとアフマド・バスカの3人に、
日本人グナーワ演奏家の山田一博と朝倉佳恵がカルカベでサポートします。
そこにサプライズ・ゲストで、セネガルの4人が参戦。
2週間前に日本ツアーを終えたばかりのグリオ・シンガー、サリウ・ニングに、
https://bunboni.livedoor.blog/2017-02-04
サリウのバンドでタマを演奏するママ・ンジャイとダンサーが2名。
サリウはジェンベを演奏していました。

20241007 Gnawa 2.jpg

エッサウィラのグナーワ・フェスティヴァルでドゥドゥ・ンジャイ・ローズと共演するのを
ヴィデオで観たことがあり、グナーワとセネガルの親和性を感じたものですけれど、
じっさいこのイヴェントでもゲンブリとタマが掛け合う即興は、見事なものでした。
あと気付いたのが、ゲンブリのフレーズに合わせて、
アフマド・バスカが足のステップをぴたり合わせてダンスしてみせたところ。
足を踏むリズムがゲンブリのフレーズと一緒だとは、これは生を観ないとわからない。
タップと違って、足をぎゅっと踏みつけるようなステップが興味深かったです。

会場のクリフサイドというハコも、秀逸でした。
終戦の翌46年に建設された山手舞踏場というダンスホールだったそうで、
風合いのある社交場というしつらえは、リラの夜の儀式の演出にぴったりでした。
横浜元町というロケーションも良かったなあ。

あえて苦言を呈するなら、
単にグナーワを演奏するだけのコンサートではなく、
「灌頂儀礼」という冠のあるイヴェントを企画したのにも関わらず、
リラの儀式の解説や紹介などがいっさいなかったこと。
楽しく踊って、ちょっと風変わりな国際交流の体験気分を味わうだけでいいの?
宗教儀礼をエキゾティックな興味だけで消費してしまう態度は、
異国文化への敬意を欠いてはいませんかね。

Gnawa Halwa "RHABAOUINE" Blanca Li 08662-2 (1994)

Mohamed Najem  JAFFA BLOSSOM.jpg

イスラエルのジャズは盛リ上がっているけれど、パレスチナのジャズというと、
ピアニストのファラジュ・スレイマンぐらいしか耳にしないなと思っていたところ、
クラリネットとネイを吹くムハンマド・ナジェムという人を知りました。

84年エルサレム生まれ、ベツレヘム近郊の村で育ったというムハンマド・ナジェムは、
ラマラのエドワード・サイード国立音楽院でクラリネットとネイを学び、
その後フランスへ音楽留学し、アンジェ地方音楽院を卒業した経歴の持ち主。
そんなキャリアを反映するかのように、
アラブ音楽とヨーロピアン・ジャズが溶け合った音楽を聞かせてくれます。

ナジェムはパレスチナ帰国後、青少年オーケストラで演奏活動をし、
05年にはパレスチナの音楽コンクールのアラブ音楽部門で優勝を獲得。
その後14年にパリへ渡って本格的なソロ活動をスタートさせ、
15年にデビュー作を出したようですね。

今年出た新作は、このデビュー作に収録された9曲のうち
6曲を再録音したもので、アルバムの半数を占めています。
メンバーは16年に結成したクレマン・プリオール(p)、アルテュール・エン(b)、
バティスト・カステ(ds)というフランス人ミュージシャンで固めたカルテットに、
数曲でパレスチナ人ウード奏者のユセフ・ザイードと、
ハーモニカのトマス・ローレンが演奏に加わっています。

タイトルのヤッファとは、テルアビブ南部の地中海に面した港町。
ヤッファはナジェムの祖父の生まれ故郷で、ナジェムはヤッファに行ったことはないもの、
祖父から古代都市の歴史物語を聞き、特別な存在の地になったそうです。

ナジェムのコンポジションは、とてもメロディアスで親しみやすいですね。
けっしてシリアスではないんだけれど、謎めいたところがあるのが魅力。
たとえば ‘If You Want’ なんて、スローでじっくりと始まるんだけど、
途中転調してフリーに暴れるかと思えば、その後急速調に盛り上がるなど、
1曲の中でくるくると楽曲の表情が変わっていく、不思議な構成を持った曲。
組曲というのとも違うし、独特の個性を示すコンポジションです。

アレンジも一筋縄じゃなくて、 ‘Bus’ ではピアノがラテン・タッチの
フレーズを差し込んでみたり、ユーモラスなエンディングを演出しています。
アラブ音楽とクラシックとジャズが交錯する ‘Jaffa Blossom’
'Few Steps Away’ も、すごく深みを感じさせる楽曲。
微分音を繰り出すクラリネットの吹奏に、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。

物語を感じさせるコンポジション。
そこに惹きつけられるパレスチニアン・ジャズです。

Mohamed Najem "JAFFA BLOSSOM" Quest 304077.2 (2024)

Ibrahim Hesnawi  THE FATHER OF LIBYAN REGGAE.jpg

リビアにポピュラー音楽なんてあるのかしらん?
リビア人シンガーとかグループって聞いたことがないし、
急進的なアラブ民族主義を掲げたカダフィが69年から君臨して、
欧米諸国と敵対していた国だから、音楽産業もなさそうだしなあ。

Afmed Fakroun.jpg

長年そう思っていたので、アフマド・ファクルーンを知った時はドギモを抜かれました。
ぼくが聴いたのは83年のアルバムですけれど、中身はデュラン・デュランを思わす、
ニュー・ロマンティックなアラビック・シンセ・ポップ/ディスコ。
革命国家リビアでこんな音楽やって、無事でいられるのかといぶかしんだんですけど、
ハイ・スクール時代をイギリスで過ごして、ヨーロッパで活動を始め、
リビアに戻ってアラブ世界で成功を収めたという経歴の持ち主だから、
リビアのポップスというのとは違うんでしょうね。
アラブ世界でスターダムにのぼり、またすぐまたヨーロッパに戻った人だし。

そんなわけでやはりリビアといえば、
ティナリウェンを生んだトゥアレグ難民の国というイメージでしょうか。
難民キャンプで革命指導を受けたトゥアレグの若者を中心に
結成されたティナリウェンですけれど、
トゥアレグの若き戦士たちのサウンドトラックとなったという
ティナリウェンのカセットは、リビアで作られていたわけではありません。

やはりリビアにはポップスは存在しないのかと思っていましたが、
リビアのレゲエのパイオニアだというイブラヒム・ヘスナウィの編集盤が
ハビービ・ファンクから出たので、これは注目しないわけにはおれません。
ライナーを読むと、54年にリビアの首都トリポリで生まれたイブラヒム・ヘスナウィは、
ロックやブルースに感化されてギターを弾いていたものの、
75年に電器店で働いていた友人からボブ・マーリーを聞かされてレゲエののめりこみ、
のちにリビアン・レゲエの代表的なシンガーとなったとあります。

80年に出したデビュー作はイタリアでレコーディングされ、
70~80年代はリビアのミュージシャンの多くが
イタリアでレコーディングをしたのだそうです。
先にハビービ・ファンクがリイシューしたリビアのグループ、
ザ・フリー・ミュージックもイタリアでレコーディングしていました。

イブラヒム・ヘスナウィは、80年のデビュー作と87年にハンガリーで録音した以外、
すべてリビアのローカル・スタジオでレコーディングし、
15作を超すカセットを発表したようです。

カダフィ時代、政治と音楽との関係は複雑だったようで、
85年にトリポリの広場で行われた音楽録音物と楽器の公開焼却がその象徴でした。
支援を受ける音楽家もある一方で、革命思想の政治目的と一致しない
ミュージシャンは投獄され、先に挙げたザ・フリー・ミュージックのバンド・リーダー、
ナジブ・アルフーシュは刑務所に送られ、カダフィを賞賛するアルバムに参加した後、
釈放されたといいます。

そうした情勢下でイブラヒム・ヘスナウィは、
カダフィの統治時代には何の障害にも直面しなかったそうで、
レゲエの汎アフリカ主義や自由や解放のメッセージが権力側に好ましいものと映り、
むしろ政府の支援も受けていたというのだから、わからないものです。
そういえば、ティナリウェンのメンバーは、リビアのキャンプで革命教育として
ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ボブ・マーリーを聴かされていたというのだから、
単純に欧米の音楽が禁止されるというのではなく、
反体制、反植民地主義の音楽は受け入れられていたんですね。

イブラヒムが歌うのは、数曲を除きアラビア語リビア方言。
ルーツ・レゲエとダンスホールのスタイルを咀嚼したサウンドはこなれていて、
ギター・ソロなども堂に入っていて、感心しました。
リビアにレゲエが根付いたのは、レゲエがリビアの民俗音楽のジムザメットと
リズムが似ていたことや結婚式での聖歌の行進など、
レゲエと親和性の高い要素がいくつもあったことが、ライナーノーツで指摘されています。

Ibrahim Hesnawi "THE FATHER OF LIBYAN REGGAE" Habibi Funk HABIBI024
Ahmed Fakroun "MOTS D'AMOUR" Presch Media GmbH PMG005CD (1983)

Malik Adouane  AFTER RAÏ PARTY.jpg

マリクのコンピレーション? なんとまあ酔狂な。
日本でマリクを知ってる人がいたら、よほどのライ・マニアだけだろうなあ。
90年代からゼロ年代にかけて、ライにテクノやトランスを取り入れ、
フランスのアンダーグラウンドなクラブ・シーンを沸かせたライ・シンガーです。
登場した時はいかにも一発屋ぽいキャラと思ったけど、
けっこう息長く人気のあった人でしたね。

とはいえ、ハレドやシェブ・マミが世界的ヒットを出して、
華々しい活躍をしていたのに比べれば、
マリクの人気はもっとローカルな局所的なものにすぎませんでした。
ライの歴史からしても、いわば仇花的な存在だったので、
その彼に今スポットを当てるとは、なかなかに面白い現象です。
のちにライがR&Bと融合して流行したラインビーを予見した存在といえるのかも。

Malik  EXTRAVAGANCE RAÏ.jpg Malik  DAÏMEN.jpg

Malik  SHAFT.jpg Malik  DERWISH.jpg

当時聴いていたCDはすべてマリク名義だったので、
今回のコンピレーションが出るまで、
アドゥアンという名前も聞いたことがありませんでした。
マリクがノートルダム大聖堂で知られるフランス北部の都市ランスで、
アルジェリア人の父親とイタロ・ケルト系の母親のもとに生まれたという経歴も、
今回のライナーで初めて知りました。

アラブ古典音楽、ライ、北米のディスコ音楽などを
分け隔てなく聴いて育ったマリクにとって、
ジェイムズ・ブラウンの ‘Sex Machine’ のライ・ヴァージョン ‘Raï Machine’ も、
アイザック・ヘイズの ‘Shaft’ のアラビックなカヴァーも、
ネラったというより、ごく自然な試みだったのでしょう。

そんなマリク・アドゥアンの全盛期を知るにふさわしいコンピレーション。
10曲収録のLPより、17曲入りCDまたは配信で聴くのがオススメです。

Malik Adouane "AFTER RAÏ PARTY, 1992-2008" Elmir MIR09CD
Malik "EXTRAVAGANCE RAÏ" Mélodie 08091-2 (1998)
Malik "DAÏMEN" Culture Press CP5006 (1999)
(CD Single) Malik "SHAFT" Mercury 562190-2 (1999)
Malik "DERWISH" M10 322062 (2002)

Asma Lmnawar  SABIYET.jpg Asma Lmnawar  AWSAT EL NOUJOUM.jpg

昔のばかりじゃなく、近作のシャバービーも聴きたくなって、
いろいろチェックしてみたら、極上の聴き逃し案件を見つけました。
モロッコのアスマ・レムナワルが17年と19年に出した2作です。

アスマ・レムナワルといえば、10年作のハリージとグナーワのミクスチャーに
仰天させられた人ですけれど、それ以降のアルバムに気付かずじまい。
https://bunboni.livedoor.blog/2012-04-19

う~ん、こんなステキなアルバムを出していたとは。
もうこの時期は、アラブ方面がすでにCD生産を縮小していた頃なので、
メジャーのロターナですら入手困難となっていました。
時機を逸したいまになって入手できたのは、ラッキーだったなあ。
ただアスマもこの19年作を最後に、アルバムを出していませんね。
チュニジアのアマニ同様、シングルは出ているようなんですが。

17年作は楽曲が粒揃いですよ。
ジャラル・エル・ハムダウィやラシッド・ムハンマド・アリがアレンジした曲は、
パーカッシヴなノリを巧みに織り込んでいるところが聴きどころ。
泣きのバラードでもビートが立っていて、
リズムの合間を縫う色香漂うこぶし使いに、ウナらされます。
さすが「ヴォイス・オヴ・グルーヴ」の異名を持つアスマならではですね。

クウェートのマシャリ・アル=ヤティム、スハイブ・アル=アワディが
ルンバ・フラメンカにアレンジした曲も楽しいし、本作にはなんと1曲、
リシャール・ボナがゲスト参加してアスマとデュエットしている曲もあります。

19年作は、ハリージを前面に押し出したアルバム。
サウジ・アラビアやクウェートの作曲家の作品を多く取り上げていて、
アレンジには、新たにバーレーンのヒシャム・アル=サクラン、
エジプトのハイェム・ラーファット、ハレド・エズが参加しています。
ストリングスのアレンジには、エジプトのアレンジャーが多く起用されていますね。

どんがつっか、どんがつっかと、ギクシャクしたハリージのリズムにも、
柔らかなこぶし使いがあでやかに舞って、その歌唱力に感じ入るばかり。
晴れ晴れとした歌いぶりに胸がすきます
歌い口がより柔らかになったようで、ほんと、いいシンガーだよなあ。
スウィンギーなミュージカル調の曲などもあって、粋なムードが楽しめます。

17年作とはまた趣を変えて、2作とも甲乙つけがたい、
秀逸なシャバービー・アルバムに仕上がっています。

Asma Lmnawar "SABIYET" Rotana CDROT1978 (2017)
Asma Lmnawar "AWSAT EL NOUJOUM" Rotana CDROT2027 (2019)

Katia Harb QAD EL-HOB.jpg

アマニ・スウィッシを皮切りに、
昔さんざん楽しんだシャバービーをまたぞろ聴き返しています。

エジプトのアンガームが03年に出した名作 “OMRY MAAK” が象徴的でしたけれど、
2000年代に入って、若者向けのアラブ歌謡のサウンドががらっと変わりましたね。
それまで「アル・ジール」と呼ばれていた若者向けのアラブ・ポップスのジャンル名が
現地でほとんど使われなくなり、シャバービーと呼ばれるようになったことは、
日本では10年遅れくらいで知られるようになりました。

ジャンルの呼び名が変わった情報は、当時まだつかめませんでしたが、
プロダクションの質がぐんと上がり、多彩なサウンドを聞かせるようになったことは、
アラブ諸国から届くCDで十分実感できましたね。
ヴィデオ・クリップが進歩し、衛星放送局開設による
音楽ヴァラエティ番組がアラブ諸国で増えたことによって、
セクシー・アイドルが次々と登場するようになったのも、この頃だったなあ。

レバノンにその傾向が顕著で、
アラブ版スパイス・ガールズと呼ばれたフォー・キャッツを筆頭に、
歌唱力などまるでないお粗末な歌手も乱立することになりました。
そうしたセクシーだけが売りの歌手はやがて淘汰されていきましたけれど、
ヴィジュアルと歌唱力を兼ね備えたアイドルも登場するようになったのです。
その象徴がナンシー・アジュラムでしたね。

個人的には、アップテンポ中心のノリの良いアイドルにあまり興味がもてなかったので、
情感たっぷりにバラードを歌うシンガーをもっぱらひいきにしていました。
https://bunboni.livedoor.blog/2009-08-27
アンガームをはじめ前回記事のアマニ・スウィッシなど、
こうしたシンガーを「せつな系」とぼくは勝手に称していましたけれど、
現地ではこうした歌手たちが歌う曲のスタイルを、ロマンスィーと呼んでいたそうです。
ジャンル名ではないそうですが、なるほどその特徴を良く表していますね。

そんなロマンスィーな曲をたっぷり味わえるのが、
レバノンのカティア・ハーブの04年作です。
EMIミュージック・アラビアが出したこのアルバムは、
それまでカティア・ハーブが所属していたレバノンのレコード会社
ミュージック・ボックスのプロダクションとは段違いでした。

メジャーが出すとこうも違うかという、ゴージャスなプロダクションで、
冒頭のしとやかなバラードに胸がきゅんきゅん高鳴ります。
アンガームやアマニほどの歌唱力はないにせよ、
すがるような歌いっぷりに、ゾクゾクすることうけあいですよ。
ウチコミ強めのダンス・トラックでも、アダルト・オリエンテッドなムードが嬉しい。
ジャジーなトラックのクオリティは、今聴いてもぜんぜんオッケーですね。
エンハンスト仕様でヴィデオ・クリップが入っているのも、この当時らしいCDです。

Katia Harb "QAD EL-HOB" Capitol/EMI 07243-597381-0-9 (2004)

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