after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

Searching for good music of the world

カテゴリ: ブリテン諸島

Nubiyan Twist  CHASING SHADOWS
前作から2年。
快進撃続くUKアフロ・ジャズ・コレクティヴ、ヌビアン・ツイストの新作は、
バツカーダも飛び出すブラジリアン・フュージョンからスタート。
腰を直撃するグルーヴにますます磨きがかかっていますね。

ヴォーカルの声が変わったなと思ったら、案の定。
前作 “FIND YOUR FLAME” にフィーチャーされていた
アジザ・ジェイの名が消え、エニオラという新たなシンガーと交代しています。

今回もゲストは大勢で、アフリカからはファトゥマタ・ジャワラにザウォーセ・クイーンズ。
エズラ・コレクティヴの鍵盤奏者ジョー・アーモン=ジョーンズに、
なんとパトリース・ラッシェン!
このほかラッパーのブーティー・ブラウン、マニフェスト、
ミスター・ウィリアムズが参加しています。

前作のナイル・ロジャーズにも驚いたけれど、
こうしたゲストがレーベル側からの営業上の押しつけとかじゃなく、
トム・エクセルがヌビアン・ツイストの活動を通じてコラボしてきた面々との共演なので、
グループの音楽性にしっくり溶け合うんですね。
だからゲスト大勢のアルバムを好まない当方でも、抵抗なく聞けるのです。

今作の白眉は、ミスター・ウィリアムズが客演した ‘Message’ ですね。
エチオピア音階を借用した曲で、ホーン・セクションのダイナミズムはライヴ感に溢れ、
破綻のない整ったトラックが目立つなか、このトラックの熱量は抜きん出ています。
全曲でこのエネルギーが展開されたら、もっとスゴイことになったろうけど。

ビートメイキングのイレケに対して生演奏にこだわるヌビアン・ツイスト、
どちらもアリですよね。

Nubiyan Twist  "CHASING SHADOWS"  Strut  STRUT507CD  (2026)

Dave Stapleton  QUIET FIRE
エディション・レコーズの創設者デイヴ・ステープルトンの14年ぶりのアルバム。
ご本人にとっても、14年でエディション・レコーズが
これほど重要レーベルへと飛躍するとは、想像しなかったんじゃないでしょうか。

ステープルトンが弾くローズとシンセサイザーに、ジョン・グードのベース、
エリオット・ベネットのドラムスを中心に、アルト・サックス、トランペット、ギター、
ヴァイオリンが加わるという編成。
この冬 “KHMER LIVE IN BERGEN” をヘヴィロテしていたので、
ニルス・ペッテル・モルヴェルが参加しているのは嬉しい限りです。
これもエディションから出ていたんだよね。
https://bunboni.livedoor.blog/2025-10-26

UKらしいエレクトロニクスとアンビエント/ダウンビートを通過したサウンドは、
近年のエレクトロニック・ジャズというよりUKクラブ・ジャズの延長線上で、
エレクトロニック・ジャズとトリップ・ホップが同居している印象ですね。
ステープルトンがメンバーのスローリー・ローリング・カメラと近い音楽性かな。
都会の夜を演出するシャレオツな一枚ともいえます。

ドラムンベースを下敷きにしたひっかかりのあるビートを
軽快に叩く、エリオット・ベネットのドラムスが心地良い。
アルバム・タイトルを想起させる内省的なサウンドスケープはトリップ感に満ちていて、
抒情を誘うフックの利いたメロディやキャッチーなコード進行が、
静かにくゆらせる炎をかたどっています。

Dave Stapleton  "QUIET FIRE"  Edition  EDN1290  (2026)

Granny’s Attic  COLD BLOWS THE WIND
こちらはピカピカの若きイングランドのトリオの新作。
コーエン・ブレイスウェイト=キルコインのコンサーティーナ兼メロディオン、
ルイス・ウッドのフィドル、ジョージ・サンサムのギター兼ブズーキに、
シド・ゴールドスミスがコントラバスでサポートしています。

かすかに濁りのある声でエネルギッシュに歌うコーエンと、
温かみのある柔らかなシンギングを聞かせるジョージの対比が絶妙で、
3人の演奏技術の高さにも目を見張ります。
ダンス・チューンの躍動感と、バラッドでの抑制の利いた繊細な演奏がその証。

コンサーティーナをドローンに使ったり、ギターとフィドルでハーモニーを奏でたり、
アレンジのアイディアがとにかく豊富。音使いにハッとさせられる瞬間が多く、
トラッド/フォークという音楽に似つかわしくない表現かもしれませんが、
この連中、クールですねえ。

1曲をのぞいてすべてイングランド伝承曲で、
各曲のチャイルドとラウドの番号がリファレンスで記載されています。
トラディッショナルと現代性を同時に響かせるグラニーズ・アティックの音楽性は
とても新鮮で、パンチが利いていますよ。

スティーヴ・ターナーの年輪を重ねたシンギングの素晴らしさに圧倒された後で、
若いグラニーズ・アティックを聴いても、まったくひけをとることなく、
イングリッシュ・フォークの伝統をみずみずしく受け継いでいるのが実感できて、
頼もしい限りです。

Granny’s Attic  "COLD BLOWS THE WIND"  Grimdon  GRICD010  (2025) 

Steve Turner  CURIOUS TIMES
これぞイングランド節!
深いバリトン・ヴォイスでゆるやかにこぶしを回しながら歌う、
旨味たっぷりの歌いぶりにやられました。
いかにもイングランドらしい、きりりとしたシンギングに背が伸びますよ。

理髪師で船乗りの祖父から受け継いだという
コンサーティーナ弾きのスティーヴ・ターナーの9作目を数えるという23年作。
冒頭のブロードサイド・バラッド ‘When Ladies Go A-Thieving’ で、
いきなり耳を鷲掴みにされました。
続いて歌われるのはチャイルド第20番の ‘The Cruel Mother’ で、
語り部たるバラッド歌いのお手本のような歌唱を聞かせてくれます。

スティーヴが弾くコンサーティーナに、独特のギターでアクセントをつけているのが
マーティン・カーシー。けっしてスティーヴの歌やコンサーティーナをジャマをせずに、
名手らしい存在感を示すところはさすがです。
このほかバリトン・ギター、シンセサイザー、チェロが控えめに加わり、
ハーモニー・ヴォーカリストの3人が彩を添えます。

伝統ど真ん中に位置する正統派の音楽に需要がなくなり、
聴く機会がますます減っているのは、イングリッシュ・バラッドに限った話ではなく、
多くの音楽の世界で見られる共通の現象のように思えます。
だからこそこんな頑固一徹、オーセンティックなアルバムを聞けるというのは、
いまやめちゃくちゃ貴重に思えてなりません。

Steve Turner  "CURIOUS TIMES"  The Tradition Bearers  LTCD1007  (2023)

ALA.NI  SUNSHINE MUSIC
アラニは、グレナダ出身の両親のもとバルバドスで生まれ、
ロンドンで育ったシンガー・ソングライター。
ダンサーとしてキャリアをスタートさせ、90年代後半には女性R&Bトリオ、
クレシャイのメンバーとして活動し、CDシングル2作を出しています。
その後パリに活動拠点を移し、ALA.NI 名義でソロ活動を始め、
17年にノー・フォーマット!からデビュー作を出し、本作が3作目。

デビュー作、2作目は聴いていませんが、本作はチェロとギターを中心に、
控えめな楽器編成で歌った作品となっています。
ホーン・セクションやストリングスがフィーチャーされても、存在感を主張しないので、
サウンドはとてもシンプルに響きます。

ノー・フォーマット!はこういうタイプの作品をよく送り出してきますよね。
カメルーンのシンガー・ソングライター、ブリック・ワッシーとか。
そのブリック・ワッシーと共演していたチェロ奏者のクレマン・プティと、
トリニダード・トバゴ出身のギタリスト、
マーヴィン・ドリーの二人がサウンドの核となっています。

アラニの歌にはイマドキの女性歌手が失ったしっとりとした味わいがあって、
そこにとても惹かれます。オールドファッションな歌い口が生み出す、
モダン・フォークならぬコロニアル・フォークなムードは、得難いものがあります。
どこかリンダ・ルイスに通じるたたずまいを感じさせるのは、
同じUKブラックだからなのかな。

カリプソやレゲエ、ズークを聴く家庭で育ったアラニが、
ボサ・ノーヴァのハーモニーやジャズのコードも吸収して
無理なく落とし込んだ楽曲11曲。
気負いなく肩の力の抜けた歌声はどこまでもソフトで、朗らかな表情をみせます。
さりげない歌いぶりにうっかりすると聞き逃しそうになるんですけれど、
この人かなり高い歌唱力の持ち主ですね。
グレッチェン・パーラトと似たタイプなんじゃないかしらん。

2年半におよんだバルバドス~グレナダ~ジャマイカの旅から生まれた本作は、
のびのびと飾ることなく歌うアラニの自然体な姿が楽しめます。
ずっと白人社会のなかで暮らしてきたアラニにとって、
黒人が多数を占める国で生活する解放感ははじめて体験した感覚で、
ありのままの自分を隠す必要のない、自由なフィールを得たといいます。

デリケートな感情のひだを聞かせる楽曲のなかには、
マイティ・スパロウの代表曲 ‘The Slave’ (63) にインスパイアされ
植民地時代に略奪された遺産への賠償問題をテーマとした ‘Tief’ といった曲もあり、
親密さとユーモア、そのなかに静かな抵抗心も示しながら
UKブラックの彼女が両親の故郷を旅して得た、心の再生が表現されています。

ALA.NI  "SUNSHINE MUSIC"  No Format!  NOF68  (2025)

Momoko Gill
うわぁ、これはいいじゃない!

ロンドンのマルチ奏者のソングライターで、
プロデューサーとしても活躍するモモコ・ギルのソロ・デビュー作。
昨年マシュー・ハーバートとコラボしたアルバムが評判を呼んでたけど、
自分には刺さらなかったので、
実はこのソロ・デビュー作も正直期待してませんでした(ゴメン)。

本作で縦横無尽に展開しているジャズ、ソウル、エレクトロニカ、
実験音楽が交差するサウンドは、ブロークン・ビートやニュー・ジャズの発展形ないし、
21世紀のUKエレクトロニック/ジャズのひとつのスタイルを示すものといえそうです。

なによりこのふんわりとしたサウンドスケープの心地良さったらありませんね。
柔らかなモモコの歌声は、さまざまに変化する繊細な表情をみせ、
まるでまばゆい陽の光に反射して、スペクトラムの色彩がゆらめくかのよう。

そしてドラムス、ピアノ、ウーリッツァを操り、
フィールドレコーディングや環境音も交えながら、
プログラミングを施したサウンド・メイキングの練り具合にも感嘆します。
幅広いサウンドで彩りながら、ひとつの作品として統一感を生み出しているプロダクションは
デビュー作とは思えないクオリティで、
プロデューサーとしての力量の高さが示されています。

バリトン・サックス、チューバ、トランペットの3管に、
50名の合唱団をフィーチャーした‘When Palestine Is Free’ が本作のハイライト。
いたるところに存在する植民地主義的暴力、人種差別、抑圧に闘うことを誓うと、
モモコがライナーで語っているとおり、アメリカと日本で育ち、
ロンドンを拠点に活動する音楽家としての気概が伝わってきます。

Momoko Gill  "MOMOKO"  Strut  STRUT501CD  (2026)

Tríona & Maighread Ní Dhomhnaill  SEO MUID Maighread & Tríona Ní Dhomhnaill with Dónal Lunny
えぇ? トリーナ&モレート姉妹の新作??
99年にドーナル・ラニーの名が添えられたアルバム以来だよねえ。
四半世紀も待たされたのかと思うと、クラクラするというか、ため息がもれますね。

でも、アイルランドの伝統音楽と実直に向き合ってきたこの二人にとっては、
まったく無理のないインターヴァルなんだろうなあ。
70年代初めに兄のミホール、姉のトリーナ、
妹のモレートで結成したスカラ・ブレイで一時期活動するも、
モレートはその後看護師の資格を取って、病院に勤めていたんだもんねえ。

Maighread Ní Dhomhnaill  NO DOWRY Mairéad Ní Dhomhnaill
ぼくが好きなのはそのモレートで、91年のソロ作 “NO DOWRY” がきっかけ。
モレートのゲーリック・ソングの美しさに感動して、
76年のデビュー作も探し出して聴き、ますます好きになったんでした。
モレートにとっても “NO DOWRY” が成功したことによって、
看護師をやめて歌手を専業とする踏ん切りがついたんですよね。

一方、姉のトリーナは兄のプロデュースで75年にソロ作を出し、
ボシー・バンド、ナイトノイズに参加するなど、歌手ばかりでなく
ハープシコードやホイッスルをプレイするミュージシャンとしても活動していました。

痛恨の思い出は、モレート&トリーナで01年に来日したのに、行けなかったこと。
チケットを取ってたのに、仕事の都合がどうしてもつかなくて、涙を呑んだのでした。
その後06年に亡くなってしまった兄のミホールも来ていただけに、
ためすがえすも観れなかったのが悔まれます。
あとモレートは、97年のドーナル・ラニー来日でゲストとして同行していたんだよね。

さて、そんな昔の思い出がたくさん蘇ってくるんですけれど、
この26年ぶりの新作、ジャケットのパネルを開くと、
すっかり初老となった二人の写真が載っているんですが、
その歌声を聴けば、この写真の二人が歌っているとはとても信じられません。
このみずみずしさといったら!
99年の二人の前作と変わらぬ美しいハーモニーに、絶句するほかありません。
至宝と呼ぶのがふさわしい、アイリッシュ・ミュージック姉妹デュオです。

Tríona & Maighread Ní Dhomhnaill  "SEO MUID"  Maighread & Tríona Ní Dhomhnaill CeolTAM0001  (2025)
Maighread & Tríona Ní Dhomhnaill with Dónal Lunny  "IDIR AN DÁ SHOLAS"  Hummingbird/Gael-Linn  GLHCD9002  (1999)
Maighread Ní Dhomhnaill  "NO DOWRY - GAN DHÁ PHINGIN SPR"  Gael-Linn  CEFCD152  (1991)
Mairéad Ní Dhomhnaill  "MAIRÉAD NÍ DHOMHNAILL"  Gael-Linn  CEFCD055  (1976)

Andy M. Stewart  'SONGS OF ROBERT BURNS
ディック・ゴーハンの70年代BBC録音集と一緒に届いたのが、
アンディ・M・スチュアートの89年作のリマスター再発。
実はこの人の名を知らなかったんだけど、
スコティッシュ・トラッドの名作だというので、購入。

調べてみたら、スコットランドの名トラッド・バンド、
シリー・ウィザードのフロントを務めたシンガー、
アンディことアンドリュー・マイケル・スチュアート(1952-2015)じゃないですか。
たいへん失礼いたしました。

アンディの息子ドナルド・アラン・スチュアートが
89年の『ロバート・バーンズ曲集』を再発するプロジェクトを立ち上げ、
リマスターを施して、歌詞・解説のブックレットとジャケットも
新たに蘇らせたというわけです。

なるほど名盤の定評もナットクの作品ですね。
生粋のスコティッュ・シンギングといえる歌いっぷりじゃないですか。
それもそのはずスチュアート家は、
スコティッシュ・トラヴェラーズの系譜を継いでいるというのだから、ほんまもんだわ。
アンディのシンギングはゴーハンの強靭さとはまた違った味わいのある歌い手で、
人柄をうかがわせる親しみと温かさがありますね。

本作はタイトルが示すとおり、
スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズの曲集。
そういえば昔、女性シンガーが歌った
ロバート・バーンズ曲集を取り上げたことがあったっけ。

バックはマナス・ラニー(ギター、ブズーキ)、
ドナルド・ショー(アコーディオン、キーボード)、
チャーイー・マッケロン(フィドル)というカパーケリーのメンバー3人が
務めているんだから、申し分ありません。

寒空の年の瀬に思いがけず、スコティッシュ・シンギングに浸っています。

Andy M. Stewart  "'SONGS OF ROBERT BURNS"  Donald Stewart  BDC625  (1989)

Dick Gaughan  LIVE AT THE BBC
ディック・ゴーハンは、ぼくを英国トラッドの世界に導いてくれた恩人。
英国に限らずトラッド全般に関しては、高校生時代の最初の出会いでつまずいて、
黒人音楽が好きな自分には不向きな音楽と、早々に結論付けちゃったんですよね。
ジーニー・ロバートソンのような老練の民謡歌いなら耳を傾けるけれど、
若いフォーク・シンガーなんか聞いちゃらんないよと思い込んでいたんです。

Dick Gaughan  HANDFUL OF EARTH
そんな思い込みをひっくり返してくれたのが、
ディック・ゴーハンの81年作 “HANDFUL OF EARTH” でした。
数曲を除いてゴーハンのギター弾き語りで、伝統歌を中心に歌った作品。
ギターもスゴ腕なんですが、なにより感じ入ったのがゴーハンの歌いっぷり。

Dick Gaughan  NO MORE FOREVER
ゴーハンの強靭な節回しに、
スコットランド民謡/伝統歌のシンギングの真髄を見たというか、
初めてその味わいを感じ取ることができたんですね。
これにマイって、72年のデビュー作 “NO MORE FOREVER” をさかのぼって聴き、
スコティッシュ・バラッドの深い世界に圧倒されてしまったんでした。

そんな遅いトラッド入門を自分に果たしてくれたディック・ゴーハンですけれど、
このたび70年代にBBCへ録音した10曲(4曲はライヴ録音)が蔵出しされました。
いやぁ、シビれましたね、これには。
全曲でキリリとしたゴーハン節が炸裂して、その気迫たるや圧巻です。
明快なディクション、キレのある歌いぶり、まさに孤高のシンギングですね。
録音もめちゃくちゃ良くて、さすがBBC。目の前でゴーハンが歌っているかのよう。
半世紀前の録音ということを忘れてしまいます。

Clan Alba
正直もう何十年もゴーハンを聴いていなかったんですけれど、
あらためてスゴい歌手だと認識を新たにして、
ゴーハンが結成したクラン・アルバなど、昔のCDを取り出しては聴き返しています。

Dick Gaughan  "LIVE AT THE BBC 1972-79"  Talking Elephant  TECD513
Dick Gaughan  "HANDFUL OF EARTH"  Topic  TSCD419  (1981)
Dick Gaughan  "NO MORE FOREVER"  Leader  LERCD2072  (1972)
Clan Alba  "CLAN ALBA"  Clan Alba  CLANCD001  (1995)

Pat Thomas  HIKMAH  TAO
パット・トーマス、といってもガーナのハイライフの人じゃありません。

昨年9月24日にロンドンでレコーディングされたソロ・ピアノ作を聴いて衝撃を受け、
こちらのパット・トーマスが誰なのかも知らずに買ってきたんですが、
英国を代表する即興音楽家/ピアニストとのこと。
バイオを調べたら、60年にアンティグア島出身の両親のもと
オックスフォードに生まれた移民二世でした。

タイトルの『ヒクマ』とは、「知恵」を意味するアラビア語。
パットは数十年にわたってスーフィズムに献身してきた熱心な信者で、
即興音楽はパットにとって、精神修養のひとつと考えているとのこと。
本作のライナー・ノーツでウィリアム・パーカーが、
「音楽は預言者と祈りを一つのジェスチャーとして兼ね備えている」と書いているのは、
自我を消滅させ神との一体化を目指すスーフィーの実践を表現しているのでしょう。
日頃「スピリチュアル」という語の使用を慎重に避けている自分ですけれど、
この音楽にはスピリチュアルと形容することをためらいません。

パット・トーマスが英国のジャズ誌『ジャズワイズ』のインタヴューで、
ピアノは基本的に鍵盤付きツィターであって、
アラブの楽器カーヌーンから誕生したことを言及していたり、
スネアやシンバルはオスマン帝国に起源があり、
オスマン帝国が西洋音楽に与えた影響を忘れていると批判するのは、
彼の確かな歴史観と思索の深さを示しています。

本作で初めて聴くパットのピアノですが、
右手で透徹した高音が不規則に鳴らされるかと思えば、
やがて安定した和声のテクスチャーへと移り、
そこからまた不協和で急速なパッセージへと場面展開していく自由な演奏スタイル。
自由でいながらも曲のモチーフから逸脱することはなく、
きちんと統制が取れていて、作品としてまとまりのあるものとなっています。
作品全体の構成がしっかりとあって、そのなかで演奏しているのがわかりますね。

打楽器のように力強いストライドを刻む、左手が生み出す角張ったリズムにもシビれます。
モンクを想起させるグルーヴは、ジャズ・リスナーには快感ですね。
全編内部奏法の曲でもまったく退屈しないのは、
フリー・リズムになるのではなく、そこにちゃんとグルーヴがあるから。
不規則なリズムのなかにも、この人の内部に確固たるグルーヴがあるのが感じ取れます。

パットの内的論理に従って、高速メロディから濃密なクラスターに変化したり、
予想外のコード展開をみせるパットの音楽はフリー・ジャズというよりも、
より純度の高い即興演奏、前衛音楽に映ります。
その純度の高さの源泉がスーフィズムへの献身にあるところに、
エゴを失くすことの尊さをあらためて認識させられます。

Pat Thomas  "HIKMAH"  TAO Forms  TAO19  (2025)

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