after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

『ミュージック・マガジン』7月号にディノ・ディサンティアゴのインタヴュー記事を寄稿しました。ぜひお読みください。

カテゴリ: 南部アフリカ

David Thekwane  JIVE HITS
サックス・ジャイヴのリヴァイヴァル作!
いやぁ、こんなCDがあったとは。
ぼくが入手したのはガロが出した07年の再発盤で、
オリジナルは98年のポリグラム盤。

2000年前後の南アには、半世紀昔の音楽を回顧する傾向がありました。
ザ・マンハッタン・ブラザーズの名復刻作が出たのもちょうどこの頃だったし、
マラービやクウェーラのコンピレーションなんかも盛んに出ていたもんなあ。
それにしても、新録でサックス・ジャイヴを演奏したアルバムがあったとは。
オドロキというほかありません。

いにしえの南ア音楽について、少し復習しておきましょうか。
いまからちょうど1世紀前の1920年代。
ジョハネスバーグの非合法酒場シェビーンで、民族の異なる労働者たちが
マラービを生み出します。やがてアメリカのスウィングやジャンプ・ミュージックの
影響を受けてマラービはモダン化し、40年代にはビッグ・バンド編成となって
ツァバ=ツァバといった新たなスタイルが流行します。

その一方、ストリートの若者が安価なブリキ製の笛ペニー・ホイッスルで
マラービやツァバ=ツァバを模倣した音楽を始め、
その音楽はクウェーラと呼ばれて人気を博しました。
クウェーラはモダン化したマラービを、もう一度下層庶民の手に
取り戻したスタイルでもあったのですが、
そのクウェーラをジャズ・ミュージシャンが取り上げ、
サックスやピアノなどを加えて演奏を始めたのがサックス・ジャイヴだったのです。
サックス・ジャイヴはやがてンバクァンガを生み出すベースにもなりました。

サックス・ジャイヴを代表するサックス奏者にザックス・ンコーシがいましたが、
デイヴィッド・テクワネはサックス奏者よりプロデューサーとして名を馳せた人。
同じサックス・ジャイヴ出身のサックス奏者から名プロデューサーとなった
ウェスト・ンコーシと同じポジションの人ですね。
デイヴィッド・テクワネはザ・ムーヴァーズの立役者となったことで知られています。

ぼくはデイヴィッド・テクワネのサックスを初めて聞きましたけれど、
クウェーラのストリート・センスいっぱいの演奏には、嬉しくなりましたね。
ざくざくと刻まれるギターにのってブロウするサックスは、ジャイヴ味たっぷり。
アコーディオンが入る曲もあり、全曲テクワネの自作です。

David Thekwane  "JIVE HITS"  Gallo  CDGSP3121  (1998)

Sakhile  TOGERTHERNESS
サキーレは、81年にジョハネスバーグでスピリッツ・ジョイス、
ハラリ、マロンボのメンバーが集まって結成されたスーパー・グループ。
南ア・ジャズとファンクとフォーク・ロックがないまぜとなった、
この時代ならではのアフロ・ソウル・ジャズを聞かせたグループでした。

81年というアパルトヘイトによる抑圧がもっとも激しかった時代で、
サキーレは演奏の場を制限されるなか、学校やコミュニティ・ホールの政治集会で、
催涙ガスを巻かれながら演奏をしたといいます。
80年代に出したレコード3作はヨーロッパやアメリカでも発売され、
ヨーロッパ、ソ連、アフリカなどのツアーもしたことから、
世界でもよく知られる南ア・バンドとなりました。
しかし、2000年代に入ってから出したアルバムがあったとは知りませんでした。

本作は04年1月にレコーディングされ、ライナーノーツに
「自由な南アフリカで制作されたデビュー・アルバムをお届けします」
と書かれていて、長い苦闘を経たスタッフの万感の思いが伝わってきます。

本作には結成当初からのオリジナル・メンバー、ベースのシフォ・グメデ、
サックスのカヤ・マラング、ギターのメニャツォ・マトレ、
パーカッションのマビ・トベジャネに加え、サキーレに影響された
若い世代のヴォーカリスト、シャルザ・マックス・ムンタンボが加わっています。

南アらしいアーシーなメロディをシャルザが歌い上げ、
逞しい男声コーラスが盛り立てる ‘Goduka’ に始まり、
アルバムのどこをとっても南ア印が刻印されたポップ・サウンドが嬉しい。
時代が下って、サウンドにはフュージョンのニュアンスもあるものの、
ずばり ‘Marabi’ なんて曲もあれば、 ‘Shumi Leminyaka’ では
アコーディオンをフィーチャーして、濃厚なジャイヴ味を聞かせたりするのだから、
もうたまりません。

カヤ・マラングとともに本作をプロデュースしたグループの要のシフォ・グメデは、
本作をリリースした同じ年の7月26日に亡くなりました。
おそらく本作がシフォのラスト・レコーディングで、
サキーレのラスト・アルバムとなったようです。

Sakhile  "TOGERTHERNESS"  Sheer Sound  GRMS020  (2004)

Konde  KIANDA LUANDA
フィジカルが出なくて、すっかり縁遠くなってしまったアンゴラ。
エディ・トゥッサの新作も配信だけになっちゃったしなあ。
珍しくアンゴラ盤のキゾンバ良作を見つけたんだけど、
このアルバムだって16年も前の作品なんだよねえ(タメイキ)。

コンデという男性シンガー、サブスクにはコンデ・マルティンスの名でも作品をあげていて、
どう使い分けているのかよくわかりませんが、本名はコンドゥア・アブレウ・マルティンス。
81年ルアンダ郊外の生まれで、07年のデビュー作 “SINA” 以来
すでに6枚ほどのアルバムを出していて、本作は3作目のようです。
ネットを検索していたら、23年6月16日リスボンのルゾフォニア音楽クラブB.Leza の
ライヴ告知ポスターがあって、なんとゲストにエディ・トゥッサが出演していました。

レコーディングがルアンダのほか、ロッテルダム、リスボンでも行われていて、
全11曲中5曲と一番多くの曲がカーボ・ヴェルデ系オランダ人
ダニーロ・タヴァレスのプロデュースで録音されているのに、おやと思いました。
ダニーロ・タヴァレスといえば、カーボ・ヴェルデの伝説のアコーディオン弾き、
ビトーリとシャンド・グラシオーザとの共同名義作でベースを弾いていた人。
アナログ・アフリカからも出たフナナー名作ですよ。

伝統フナナーとは毛色の違う、ラグジュアリーなキゾンバのプロデュースをするとは、
多能な人なんですねえ。そのダニーロ・タヴァレスがプロデュースした、
哀愁味たっぷりのメロウなキゾンバの1曲目から、トロけましたよ。
鼻にかかった歌声がセクシーで、軽やかなこぶし回しも魅力的です。
1曲を除きすべてコンデの作詞作曲で、ソングライティングの才能も確か。
ゆったりとしたミディアム・グルーヴを中心に、
これだけ聞かせる楽曲を揃えているのは大したものです。

中盤のギターとアコーディオンで聞かせるスローの ‘Cantar Sorrir’ に続いて、
ボレーロ・チャチャチャの ‘Heroi Da Minha Vida’ にはウットリさせられます。
5台のストリンス・セクションは次のビギンの ‘Te Ver Feliz’ でもフィーチャーされていて、
カヴァキーニョがコラデイラのリズムを刻んでいて、
ビギンとコラデイラをミックスしたアレンジがシャレていますね。
マラヴォワふうのストリングス・セクションも実にエレガントです。
 
一方、タイトル曲はアルバムゆいいつのアップ・ナンバーのセンバ。
キレのいいホーン・セクションのバックでアコーディオンがかくし味となっていて、
ジャジーなエレクトリック・ギターも聴きものとなっています。
ボーナス扱いのラスト・トラックの ‘Balancê’ はズーク。
メロディがなんともチャーミングで、巧みだなあ。 
成熟したクレオール・ポップスがアタマからシッポまで詰まった好作です。

Konde  "KIANDA LUANDA"  no label  no number  (2009)

Zonke  L.O.V.E
南アから届いた旧作CD50枚の話題は、今回でおしまい。
最後はお気に入りのポップ・シンガー、ゾンケの18年作を取り上げましょう。

ゾンケにゾッコンになったきっかけは3作目の “INA ETHE” でしたが、
ゾンケにとってもあのアルバムがダブル・プラチナ・ディスクを獲得して、
大きな成功を呼んだ作品だったんですね。

ゾンケのデビューは南アではなくドイツで、99年にハノーファーで始まった
テレビのドキュメンタリー・プロジェクトにソロ・シンガーとしてフィーチャーされ、
06年にデビュー作 “SOULITARY” を制作しています。
南ア本国ではリリースされなかったものの、なんと日本盤が出ていて、
これはまったく知らなかったなあ。日本コロムビアからリリースされたんですって。
Zonke  LIFE, LOVE ’N MUSIC
07年に出たセカンド作の “LIFE, LOVE ’N MUSIC” が、南アでのデビュー作。
“INA ETHE” を先に聴いてしまった後では、もろにクラブ・ミュージック仕様の
サウンド・プロダクションは聴き劣りすると言わざるを得ません。
全編でハウスぽい四つ打ちのビートが支配していて、
この時代にさんざん流行ったサウンドですね。
デビュー作もこんなクラブ・ジャズぽい内容だったのかなあ。

というわけで、ゾンケのアダルトな魅力を引き出したのは、
クインシーがニックネームの鍵盤奏者アレックス・D・サミュエルのおかげのようです。
アレックス・D・サミュエルは、 “INA ETHE” 以降のアルバムすべてに参加して、
ゾンケ独特のジャジーなサウンドをクリエイトしています。
Zonke  WORK OF HEART
4作目の “WORK OF HEART” では、いつものアンニュイなムードばかりでなく、
悲しみを乗り越えるかのような希望を託した曲が目立ちます。
アルバムを制作する前に、ゾンケの姉ルル・ディカナを亡くした後であったことが
反映されたようですね。

そして18年の本作は、“INA ETHE” 以降もっとも完成度が高く、
シャーデーの傑作 “LOVE DELUXE” にも匹敵する作品に思えます。
そういえば、日本のレコード会社が
「南アのシャーデー」という形容をリラに与えていましたけれど、
その形容はリラよりゾンケにこそふさわしいですね。

都会の夜を演出する大人の愛の物語9篇。
南ア・ポップでとびっきりラグジュアリーな作品です。

Zonke  "L.O.V.E"  Sony  CDSAR015  (2018)
Zonke  "LIFE, LOVE ’N MUSIC"  Kalawa Jazmee/Universal  CDRBL394  (2007)
Zonke  "WORK OF HEART"  Sony  CDSTEP151  (2015)

Jimmy Dludlu  PORTRAIT
前回取り上げたリザ・ジェイムズのアルバムに聞き覚えのある曲があり、それが ‘Totte’。
歌詞が付いていて、おやと思ったんですが、
オリジナルはギタリストのジミー・ドゥルドゥルの07年作に収録されていました。
こんなチャンスでもないと、ジミー・ドゥルドゥルについて書くこともないだろうから、
今回はこのフュージョン・ギタリストを取り上げましょう。

初めてジミー・ドゥルドゥルを聴いた時は、驚いたなあ。
ドゥルドゥルを知る人ならうなずいてくれると思うけど、
ジョージ・ベンソンと瓜二つなんですよ。
ブラインド・テストしたら、10人中10人が「ジョージ・ベンソン」と答えるはず。
ギター・プレイばかりでなく、ユニゾンでスキャットするヴォーカルまで完コピー。
こんなギタリストが南アにいるとはオドロキでした。

のちにジミー・ドゥルドゥルは南ア人ではなく、モザンビーク人だということを知りました。
80年代半ばにスワジランドやボツワナで活動をしたのち、90年にジョハネスバーグへ移住。
セッション・ギタリストとして活動を始め、マッコイ・ムルバタのバンドを皮切りに、
ヒュー・マセケラ、ミリアム・マケーバ、ブレンダ・ファシー、チッコなど
南アのトップ・スターたちのバックを務めます。
南アのスタジオでファースト・コールのギタリストとして名声を高め、
94年にはジャズ・ギタリストのレジェンド、ハーブ・エリスとも共演しています。

南アの有名なフュージョン・ギタリストって、なぜか近隣国出身者が多く、
ドゥルドゥルばかりでなく、ルイス・ムランガはジンバブウェ人でしたね。
本国ではジャズ・ギタリストの仕事の場がないんだろうなあ。
そしてドゥルドゥルは97年にアルバム・デビュー。
ぼくが最初に聴いたのは99年のセカンド作でした。
手元にあるのは、デビュー作とセカンド作に先の07年作、16年作の4作です。
Jimmy DluDlu  ESSENCE OF RHYTHM Jimmy Dludlu  IN THE GROOVE
ジョージ・ベンソン・スタイルのギターはどの作品も同じで、
99年作ではそれほどアフリカ色を打ち出していませんでしたが、
07年作や16年作ではアフリカらしいコーラスなどを配して、
汎アフロ・ポップ・フュージョンを展開しています。
07年作には、モザンビークのティンビラ・オーケストラが出てくる曲もありました。
アメリカ産フュージョンと寸分違わないクオリティのプロダクションで
アフロ・フュージョン・サウンドを楽しめるのは、ドゥルドゥルならではですね。

Jimmy Dludlu  "PORTRAIT"  Universal  CDSRBL398  (2007)
Jimmy DluDlu  "ESSENCE OF RHYTHM"  Universal  CDSRBL268  (1999)
Jimmy Dludlu  "IN THE GROOVE"  Universal  CDRBL811  (2016)

Lizha James  FEEL MY LOVE
おぉ、南ア盤が出ていたとは!
リザ・ジェイムズは、82年マプト生まれのモザンビーク人シンガー。
ズクタ・パンザ Dzukuta pandza(単に「パンザ」とも呼ばれる)のシンガーと
その名を知れど、リザ・ジェイムズのアルバムも聴けなければ、
ズクタ・パンザの実体もずっとわからずじまいだったのです。

わずか14歳でモザンビークを代表するハウス・ユニット、エレクトロ・ベースに参加して
評判を呼んだリザ・ジェイムズは、00年にデビュー作を出しました。
05年の2作目 “A RAINHA DO RAGGA” がヒットを呼び、
マラベンタとラガをミックスしたスタイルで知られるようになったといいます。

その後マプトのクラブ・シーンから、ズクタ・パンザと呼ばれる新しいスタイルが誕生。
南部の伝統リズムのズクトゥとマラベンタをヒップ・ホップ流にミクスチャーして、
さらにダンスホール、ラガ、ハウス、テクノなどを取り込んだダンス・ミュージックは、
都市の若者の間で流行となりました。
リザ・ジェイムズもズクタ・パンザを取り入れ、さらに人気を高めたんですね。

13年に出た5作目の本作を聴くと、ズクタ・パンザって南アのクワイトと瓜二つですね。
クワイトもダンスホール、ラガ、ハウスを消化したダンス・ミュージックなので、
南部アフリカで同時期に誕生したミュージック・スタイルといえるのかもしれません。
じっさいリザは、南アのマンドーザ、カベーロ、ロイーソといったクワイト・シンガーと
コラボレーションもしていたので、クワイトと親和性が強くなるのも必然なのかも。
本作でも、マンドーザとロイーソがフィーチャリングされた曲が入っています。

プログラミングされたビートがニュアンスたっぷりで、
クワイトを凌ぐグルーヴ感がたまんない。
アフリカ人が手がけると、どうしてプログラミングにこれほど
生演奏に近い表情が出るのかなあ。不思議だよねえ。
南アのDJ・マフォリサが手がけた冒頭3曲だって、ハウス・トラックなんだけど、
単調な四つ打ちになるどころか、めちゃくちゃグルーヴィなんだからまいっちゃう。

アルバムのベスト・トラックは、パンザのキングと称されるモザンビーク人DJ、
ジコことアナスタシオ・モライス・ランガが手がけた ‘Xtilo Xakhale’。
華やかな女性のウルレーションをフィーチャーして、
フォークロアなリズムを生かしたアッパーなリズム・トラックがゴキゲン。
クワイトと聴き分けがつかない曲が目立つなか、
ズクタ・パンザの特徴が一番良く出た曲に仕上がっています。

06年以降、南アのチャンネルO・ミュージック・ヴィデオ賞の常連となるほどの
受賞歴を誇るリザですけれど、アルバムが容易に聞けないのは、
やっぱりモザンビークという地の利の悪さが災いしているんだろうなあ。
本作は配信にも上がっていないしねえ。
リザのフェイスブックには148万人ものフォロワーがいるんですけれども。

Lizha James  "FEEL MY LOVE"  Universal  CDRBL737(133)  (2013)

Jankie Makopa  PHALA
女性シンガーばかりが続いていますけれど、男性シンガーも取り上げましょう。
といっても男性シンガーは、これ1枚しか買っていないんですけれどね。
ゆいいつ気に入ったその男性シンガー、ジャンキー・マコパは、
85年ジョハネスバーグの西にあたるカギソで生まれたシンガー/ラッパー。
ツワナ語で歌い、ラップしています。子供の頃、ボツワナにも住んでいたそうです。

聖歌隊の歌手の家庭に生まれたジャンキーは、教会の聖歌隊でリード・シンガーとなり、
06年にミスター・ルードボード・カレッジで優勝。その後他の音楽賞でも連続優勝して、
ミュージカルの主役に抜擢されたそうです。
しかし音楽の道へは進まず、07年に南アフリカ航空に就職して客室乗務員となります。
とはいえ、ETVの番組 “Rolling With Zola” に出演したりしていたので、
音楽も捨てられなかったんでしょう。結局南アフリカ航空を退職して、
オン・ポイント・レコーズに拾われ、本作でデビューしたのでした。

いやぁ、めちゃめちゃオプティミスティックでダンサブルな曲ばっかで、
キャッチーな曲を書くソングライティングの才は確かですね。
ヒップ・ホップ・センスのポップ全開!って感じなんですけれど、
ミュージック・ヴィデオ観たら、ものすごく暗いストーリーだったりして、
南アの現実はなかなかヨソモノには想像がつきません。

マフィキゾロの前座を務めたりもしたそうで、
ポスト・アパルトヘイト世代のクワイトと並走する
アフロ・ポップ・シンガーというのが実感できる、痛快なポップ作です。

Jankie Makopa  "PHALA"  On Point/Gallo  CDGRC3900  (2015)

Puleng
ディープ・ハウスみたいなスタイリッシュなジャケットは、
今回入手した南ア・ポップのCDのなかでは、ダントツのオシャレ物件。
なんせジャケット裏のクレジットには、スタイリング、ヘア、
メイク=アップ、ネイルの人までクレジットされてるくらいですからね。

アルバム前半はゴキゲンなクワイトが続いて、中盤のレッタ・ンブールの70年のヒット曲
 ‘I Need Your Love’ のカヴァー以降は、ポップ・ナンバーが続くという構成。
フックの利いた楽曲がずらり並んでいると思ったら、アフロ・ポップの名プロデューサー、
ロビー・マリンガとモジャレファ・テベの二人がタッグを組んで楽曲提供したんですね。
プロデュースも二人が手がけていて、どおりでハイ・レヴェルな作品になるわけです。
‘Imikhuba’ が2つのヴァージョンで収録されていて、
1曲目ではクワイト、12曲目ではポップにアレンジされて、どちらも優劣つけがたいですね。

クワイトのオプティミズムを引き立てる
プレンの歌声はハツラツとしていて、とても魅力的。
伸びのある歌声は、ミュージカル俳優を思わせる歌唱力があります。
どういう人なのかとインターネットをチェックしてみたんですが、
06年のメトロFM音楽賞の受賞歴以外まったく情報がなくて、
プレン・マーチという別人のゴスペル・シンガーばかり出てきます。
アルバムもこの1作しかないようで、一発屋で終わっちゃった人なのかしらん。

才能ある人なのにもったいない話ですが、2010年前後の南ア・ポップって、
めちゃくちゃ充実していたんですね。再認識しました。

Puleng  "THABA TSHOEU"  Tilldawn/Gallo  CDTDR01(FN)  (2006)

Liz Ogumbo KEN SOUL
スムースな歌い口のKBとは好対照に、クセの強い歌を聞かせるリズ・オグンボ。
10年の本作がデビュー作。
英語の曲ばかりで、ズールー語やコサ語の曲が見当たらないなと思ったら、
この人ケニヤ人なんですと。ナイロビ出身のルオ人だそうで、
ルオ語やスワヒリ語で歌う曲もあります。

粘っこく歌うスモーキーなヴォーカルはかなり個性的。
すねたような歌いぶりが、めちゃ耳残りしますね。
スキャットを多用したり、スポークン・ワードを披露するあたり、
ソウル・ジャズ的な資質を強くうかがわせる人です。
ニーナ・シモンに影響されたというのも、むべなるかな。

ジャジーなネオ・ソウル・サウンドはとても洗練されていて、
プロダクションのクオリティは申し分ありません。
ギター・サウンドを前景にしたロックや、
ラッパーをフィーチャーしたラガマフィンもあるなど、ヴァラエティ豊かな楽曲が魅力です。

フィーチャーされるラッパーはタンザニア生まれ(Tumi)だったり、
ザンビア生まれ(Zubz)だったりと、リズと同じく
南アで活躍するアフロポリタンが起用されています。

リズはシンガーだけでなく、多分野にまたがるビジネス・ウーマンで、
07年にリズ・オグンボのブランド名でアパレル・ブランドを立ち上げるほか、
コンサルタント、コンテンツ・クリエイターとしても活躍しています。
14年にはファッション・ラブ・アフリカを設立して、
世界初のファッション・ビジネス・ショーを生中継して話題を呼んだほか、
18年にはワイン・ビジネスに乗り出していて、
現在ミュージック・シーンとは距離ができてしまったようです。

Liz Ogumbo  "KEN SOUL"  Gallo  CDGMP41040  (2010)

KB  KE MOSADI  KB  RUN FREE THE EVOLUTION
KBはポップ・シンガー。
79年ボツワナに近い南ア北西部モルレンの年生まれで、
90年代後半にクワイトのユニット、クラウデッド・クルーに参加してキャリアをスタートし、
02年にソロ・デビュー。ソロ・アクトとなってからはクワイトから離れ、
コンテンポラリーなポップスを歌うようになったようです。

今回入手した09年の5作目と11年の6作目とも、
アダルト・オリエンテッドの洗練されたサウンドにのせて、
クセのないKBのシルキーな歌声がよく映えるアルバムとなっています。
ラグジュアリーでメロウなサウンドは広くアピールしそうで、
楽曲も粒揃いだし、ほどよくダンサブルなトラックを織り交ぜた構成も秀逸。

こういうタイプの南ア・ポップ・シンガーというと、日本盤も出たリラがいますけれど、
スウィートな歌い口のリラに比べ、KBはよりアダルトでエレガントなタイプといえそう。
ぼくのごひいきのゾンケと似たタイプかな。
いまチェックしてみたら、リラもKBも同じ79年生まれ、同い年なんですね。

リラがファッション誌を飾るモデルとして活躍しているように、
KBも15年にソウェト・ファッション・ウィークのランウェイでモデルを務めたほか、
俳優としても活躍していて、数々のTVドラマで人気を博し、08年と11年の2度、
ゴールデン・ホーン賞TVソープ部門主演女優賞にノミネートされています。

そのKBの09年の “KE MOSADI” は、冒頭に素朴な民俗楽器らしき鉄弦の響きとともに
親指ピアノとの二重奏が飛び出してびっくりしたんですが、
この短いイントロをのぞけば、アフリカを思わせるサウンドは登場しません。
“KE MOSADI” は生演奏の比率が高めですが、
“RUN FREE: THE EVOLUTION” はエレクトロな処理をしたトラックも目立ちますね。
嬉しかったのは、ランディー・クロフォードが歌ったクルセイダーズの代表曲
‘Street Life’ のカヴァーかな。

両作ともプロデュースと作編曲に、 M.P. Motsilanyane という名がクレジットされています。
ファミリー・ネームがKBと同じだし、ソングライターでもあるというから、
M.P.は作曲者用のアーティスト・ネームなのかもしれません。
ソングライター、プロデューサーとしても才能の高い人なんだな。

KB  "KE MOSADI"  Gallo  CDGURB140  (2009)
KB  "RUN FREE: THE EVOLUTION"  Gallo  CDGURB159  (2011)

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