
アンゴラ独立闘争が最高潮に達した時代に録音された、
アンゴラ音楽の金字塔たるダヴィッド・ゼーの唯一のレコードがリイシュー!!!
フランスの新進リイシュー専門レーベル、ジャジーベルから、
LPとCDの両方のフォーマットで出すというビッグ・ニュースに、
昨年末から首を長くして待っていたんですが、
結局CDの発売は見送られてしまいました(シクシク)。
とはいえアンゴラ盤LPのリイシューは、世界初という画期的な出来事。
75年に出たオリジナルのCDA盤はシングル・ジャケットでしたが、
ゲートフォールド仕様にして往時の写真や簡単な解説を載せています。
ダヴィッド・ゼーことガブリエル・ダヴィッド・ジョゼ・フェレイラは、
44年ルアンダ生まれ。
44年ルアンダ生まれ。
3つ年上の歌手ウルバーノ・デ・カストロと出会って歌手を志し、
アンゴラ独立闘争時代に反植民地主義思想を打ち出す歌手として活動を始めます。
当時新進のグループだったジョーヴェンス・ド・プレンダに加入して、
72年にデビュー・シングルを出しました。
その後アンゴラ解放人民軍(FAPLA)兵士の士気高揚と、
アンゴラ改革のための労働運動を国民に広める役割を担った
アリアンサ・ファプラ=ポヴォに、ウルバーノ・デ・カストロや
アルトゥール・ヌネスらと共に加わり、多くの革命歌を歌います。
75年独立後は新大統領のアゴスティーニョ・ネトから厚遇され、
MPLA政権下で文化省の音楽局長という要職に就き、
モザンビーク、サントメ・プリンシペ、ギネア=ビサウの独立記念式典で歌い、
ネトの国内外のツアーにも同行しました。
しかし、77年5月27日に勃発したクーデター未遂事件の際、
ゼーは正体不明のグループによって誘拐され、ウルバーノ・デ・カストロや
アルトゥール・ヌネスらとともに殺害されてしまいました。
この時のクーデター失敗による報復の嵐で数千人が犠牲となりましたが、
犠牲者に関する公式な記録は存在せず、ゼーの遺体も発見されていません。
2018年に設立されたM27協会は、1977年5月27日の政治的粛清の犠牲者を
追悼する遺族団体で、政府に対して事件の真実と情報開示を求め、
犠牲者の詳細な調査や遺骨の身元確認を要求しています。
今回のリイシューはゼーの遺族のみならず、
M27協会の全面的な支援を受けて実現したもので、
解説には協会への謝辞が載せられています。
本作の伴奏はコンジュント・メレンゲ(オス・メレンゲス)が務めていて、
アンゴラ音楽黄金時代の頂点といえるセンバ、ラメントを聴くことができます。
ゼーが暗殺された後、ゼーの歌は長く発禁・放送禁止となっていましたが、
27年に及んだアンゴラ内戦終結後、再びゼーへの注目が集まり、
多くの歌手たちがゼーの曲をカヴァーするようになりました。

04年にはアンゴラ国営ラジオ局がアンゴラ音楽黄金時代のパイオニアたちの
録音をリイシューしたシリーズ “MEMÓRIAS” の一枚として、
ゼーの音源39曲が2枚組CDにまとめられました。
おそらくゼーのほぼすべての録音で、今回のCDA盤も全曲収録されています。
これまで欧米のディガーたちから無視され続けてきたアンゴラ盤が、
突如リイシューされることになったきっかけは、ダミアン・マーリーとナズが
本盤収録の ‘Undenge Uami’ を ‘Friends’ にサンプリングしたからでしょう
(“DISTANT RELATIVES” 所収)。
当時のアンゴラでリリースされていたのはもっぱらシングル盤で
LPは珍しかっただけに、ゼーの本作はその意味でも貴重な一作だったのです。
[LP] David Zé "MUTUDI UA UFOLO / VIUVA DA LIBERDADE" Jazzybelle JB010 (1975)
David Zé "MEMÓRIAS" Rádio Nacional De Angola RNAPQ19











