after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

『ミュージック・マガジン』7月号にディノ・ディサンティアゴのインタヴュー記事を寄稿しました。ぜひお読みください。

カテゴリ: レコード屋・CDショップ

Caribop  WEEK-END À SAINTE-ANNE.jpg

Caribop "WEEK-END À SAINTE-ANNE" Marc Vorchin & MBM MBM004CRB1 (2008)

ブログを続けるなかで、守ってきたルールのひとつに、CDの具体的な入手先で、
一般の販売店ではない海外通販サイトは明かさない、というのがあります。

ブログ書き始めの頃の話ですけれど、
大手の輸入CDショップに並び、日本盤も出ているような入手容易なCDですら、
「どこで売っているんですか?」と質問してくる人が多いのには、閉口しました。
そんなもの検索すりゃ、すぐわかるのに、と思うものの、
自分で調べようともしない、ネット民特有の反応に、ヘキエキしたものです。

あまりに安直な質問は、心の中で ggrks とつぶやいて無視してきましたが、
熱意がきちんと伝わってくる方にも、基本的にお応えしてこなかったのは、
海外の通販サイトを紹介することは、端的に言って、
日本の輸入CDショップや輸入業者の商売のジャマとなるからですね。

ぼくが紹介する音楽は、残念ではありますけれど、
日本ではほとんどファンのいないニッチな商品ばかりなので、
記事を読んだ人がみな海外通販サイトから直接購入してしまったら、
ショップが成り立たなくなっちゃうじゃないですか。

LPの時代から、レコード屋さんから多くの事を学んできましたし、
輸入業者あればこそ、数々のレコードを手に入れられたわけです。
それらへの恩返しの気持ちもありますし、これからもショップや輸入業者に
頑張ってもらいたいからこそ、商売のジャマをするなんて、トンデモです。

だもんで、読者の方々に、ぼくが購入している海外の業者やサイトは教えないかわり、
プロのバイヤーさんやCDショップのオーナーさんには、
求められれば惜しみなく情報をお伝えしてきました。
そうしてぼくがここで紹介してきたCDの数々が、
日本のお店に並んできた実例は、みなさんの方がよくご承知でしょう。

そうしたお店が、ぼくのブログ記事をリンクするのも、持ちつ持たれつなんだから、
基本「ご勝手にどうぞ」と放置してきたため、エル・スール・レコーズの
「無断リンク陳謝&感謝!」が、いつのまにか定着してしまっているわけです。

こうした事情を、あらためて書けるようになったのは、哀しいかな、
ぼくが利用してきた海外通販サイトが軒並み閉鎖されてしまったからなんですが、
今回書くフランスのアンティルス・ミジックは、フレンチ・カリブを専門とするお店で、
フランスのワールド系CD卸商が扱っていないCDを、豊富に在庫していたお店でした。
フレンチ・カリブ以外では、フランス語圏アフリカのCDも扱っていて、
コンゴ、コート・ジヴォワール、レユニオンもので、
他の店にないアイテムをたくさん取り扱っていました。

たしか、エル・スールの原田さんにこのお店を紹介したのは、
09年4月号のミュージック・マガジン誌に記事を書いた、
カリボップがきっかけだったと記憶しています。
その記事に、「タニヤ・サン=ヴァルの新作“SOLEIL”もひさしぶりの快作というのに、
いまだ日本未入荷。輸入盤屋さん、あわせて仕入れてください。」なんて書いたもんだから、
エル・スールに問い合わせが殺到したらしく、
それで原田さんに、アンティルス・ミジックを教えたんでした。

マラヴォワのデビュー作がオリジナルのセリニからCD化された際にも、
日本ではまったく知られていないので記事にしましたけれど、
フランスのフレモオ・エ・アソシエがCD化したのが日本盤でも出たので、
エル・スールもこれは仕入れなかったみたいですね。
https://bunboni.livedoor.blog/2009-10-10

最近、エル・スールのサイトを見ていたら、
アンティルス・ミジックから仕入れたとわかるデッド・ストック品が、
立て続けにアップされていて、なんだか懐かしくなって、この記事を書く気になりました。
ギィ・コンケットのデブス盤やら、ネグロ・バンドのANP盤やら、
どれも1点ものだったらしく、速攻売切れになっていましたけれど、
アンティルス・ミジックから輸入したのは、日本ではエル・スール一店だけでしたね。

最後だから、そのエル・スールでも見かけたおぼえのない(=仕入れなかったと思われる)、
アンティルス・ミジックから購入したCDを並べて、この記事を終えましょう。
誰かさんが、「初めて見た!」だの「見たことない!」だのと、騒ぎそうですけど(笑)。


Loulou Boislaville et Le Groupe Folklorique Martiniquais.jpg Emilien Antile  MR SAX.jpg Emilien Antile, Abbel Zenon, Roland Baltazar  SAX EN FURIE.jpg

Loulou Boislaville et Le Groupe Folklorique Martiniquais "LOULOU BOISLAVILLE ET LE GROUPE FOLKLORIQUE MARTINIQUAIS" Sully Cally Production LBSC018
Emilien Antile "MR SAX" Debs CDD1337-2 (1969/1974)
Emilien Antile, Abbel Zenon, Roland Baltazar "SAX EN FURIE" Debs CDD1429-2

Robert Loyson  NOSTALGIE CARAÏBES.jpg Al Lirvat Et Son Orch. Wabap.jpg Arc En Ciel  QUADRILLE - BIGUINE - VALSE - MÉRENGUÉ.jpg

Robert Loyson "NOSTALGIE CARAÏBES" Celini 5524.2 (1972)
Al Lirvat Et Son Orch. Wabap "BIGUINES… TOUBONEMENT" Debs 1424-2 (1974)
Arc En Ciel "QUADRILLE - BIGUINE - VALSE - MÉRENGUÉ" Debs CDD1364-2 (1993)

Atou Ka.jpg Fa Fan’  LA FÊTE CRÉOLE.jpg Ralph Thamar & Dédé St. Prix  MAZURKAMANIA.jpg

Atou Ka "ATOU KA" Debs CDD1419-2 (1997)
Fa Fan’ "LA FÊTE CRÉOLE" J.V. Production BB60 (1997)
Ralph Thamar & Dédé St. Prix "MAZURKAMANIA" Debs 5139-2 (2004)

Roro Kaliko  ROUKOULAJ.jpg Eric Maximilien  BIGUIN’ SIWO.jpg Narcisse Boucard  SÉWÉNAD A NAWCIS.jpg

Roro Kaliko "ROUKOULAJ : MUSIQUE DE LA MARTINIQUE" JV Productions 5396-2 (2006)
Eric Maximilien "BIGUIN’ SIWO" Debs HDD26-90-2 (2007)
Narcisse Boucard "SÉWÉNAD A NAWCIS" no label NB0002 (2017)

Dollar Brand  African Piano.jpg Judy Mowatt  BLACK WOMAN.jpg

パイドパイパーハウスの記事でふれた雑誌『宝島』を読み返していて、
76年に開店した吉祥寺のジョージアについても、書いておきたくなりました。
https://bunboni.livedoor.blog/2022-01-19
無垢材の内装が、パイドパイパーハウスにも通じる雰囲気のあるお店で、
ここもデート中に立ち寄れそうな場所だったんですけれど、
じっさいに彼女を連れていったことはありません。

というのは、吉祥寺はレコード屋巡りするお店がいっぱいあって、
レコード探しに集中しなきゃなんないから、
彼女を連れていくわけにはいかないんですよ。
だって、レコ掘りに熱中してたら、デートがそっちのけになっちゃうでしょ。
芽瑠璃堂へ行こうものなら、店の外で彼女を待たせることになっちゃうしね。
https://bunboni.livedoor.blog/2009-12-13

というわけで、吉祥寺へはいつも一人で行っていましたけれど、
ジョージアで買っていたレコードは、開店当初はジャズで、
しばらくしてから、第三世界の音楽がメインになりました。
開店当初に買ったレコードで忘れられないのが、
ダラー・ブランドの“AFRICAN PIANO” です。

ドイツのジャロが出した黒いジャケットで有名な名盤中の名盤ですけれど、
ドイツ盤とは正反対の、真っ白なジャケットのデンマーク盤がジョージアにあったんです。
聞いてみると、こちらがオリジナル盤だと教えてもらって、びっくり。
パイドパイパーハウスで雪村いづみを見つけた時みたいに、即買い直しです。
このデンマーク盤のオリジナルの存在は、当時も今も案外知られていなくって、
教えてくれた山崎さんには感謝しかありません。

開店当初、ロック方面は関心外のレコードしか置いてなかったので、
もっぱらジャズやジャズ・ヴォーカルの棚ばかり見ていたんですが、
のちに第三世界の音楽をプッシュするようになってからは、
その方面ばかり見るようになりました。

第三世界の音楽といっても、いまではピンとこないと思いますが、
手っ取り早くいえば、「ワールド・ミュージック」ですね。
非西欧のポピュラー音楽を指すネーミングで、
76~77年頃から使われるようになったタームです。

きっかけは、ハイチのタブー・コンボの名作『ニュー・ヨーク・シティ』でした。
写真家の浅井慎平がフランスで見つけて日本へ紹介したのがきっかけで、
河村要助が絶賛し、ジョージアがフランスのバークレイ盤を輸入したんですね。
当時ハイチの音楽は、すでに高円寺のアミナダブが、
ソノ・ディスク盤で輸入していましたけれど、
タブー・コンボはバークレイ盤だったせいか、アミナダブにはありませんでした。
オリジナルのアメリカ・ミニ盤が入るのは、もっとずっとあとのことです。

このほか、ジョージアで買った<第三世界の音楽>では、
ジャマイカ盤レゲエが多かったかな。ラス・マイケルとか、ジュディ・モワットとか。
ジュジュのエベネザー・オベイを、イギリス・デッカ盤で入れていたのも、ここでした。

サルサは、恵比寿のディスコマニアや池袋のメモリー・レコードで買うのが
もっぱらでしたけれど、ジョージアでも、プエルト・リコ・オール・スターズのセカンド
“LOS PROFESIONALES” や、ボビー・ロドリゲスの“LATIN FROM MANHATTAN” を
買ったのを覚えています。

あと、ジョージアと同じ通りの並びに、レコード・プラントというレコード屋さんがあって、
ジャズと第三世界の音楽を、競い合うように品揃えしていたっけなあ。
どちらもチェックが欠かせなかったお店でしたけれど、
レコード・プラントで買ったレコードに、
これ!と懐かしく記憶しているものが思い当たらないから、
収穫はジョージアの方が、断然多かったように思います。

[LP] Dollar Brand "AFRICAN PIANO" Spectator SL1005 (1970)
[LP] Judy Mowatt "BLACK WOMAN" Ashandan no number (1979)

雪村いづみ  SUPER GENERATION.jpg Gabby Pahinui  THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND.jpg 

前々回と前回の記事で、思い出したことがあって、
10年ぶりに「忘れじのレコード屋さん」シリーズの復活です。
 
伝説化したパイドパイパーハウスについては、
すでに多くの人が語っていて、私ごときが、なにをいまさらなんですが、
たぶんこの方面の話題なら、誰も語っていないのではという話をひとつ。

ウェスト・コースト・ロックにAOR、オールディーズやニュー・オーリンズ方面に
強かったお店であったことは言わずもがなですけれど、先日話題にした、
雪村いづみの『SUPER GENERATION』のアルファから出た限定盤を
置いていたお店でもあったんですね。

当時、日本コロムビアから出たシングル・ジャケットのレコードで聴いていたので、
見開きジャケットの『SUPER GENERATION』を
パイドパイパーハウスで見つけたときは、???と思ったのでした。
お店の人(あれは岩永正敏さんだったのか)に訊くと、
「それねえ、限定盤なんだよ」と言うじゃありませんか。

日本コロムビアではなく、アルファと書かれたライナーノーツとポスターが付いていて、
レコードのセンター・レーベルは、雪村いづみの横顔写真となっています。
見開きジャケット内は、日本コロムビア盤の裏ジャケットの元デザインで、
裏ジャケットは、表ジャケットの色彩を変えた別ヴァージョンという豪華版。

これは買い替えなきゃと思っていたら、
「サインが入っているのもあるよ」と、奥から在庫を出してくれるじゃありませんか。
喜び勇んで、裏ジャケットに雪村いづみさんのサインが入ったレコードを
いただいてきたのでした。

のちにこの『SUPER GENERATION』は、アルファが原盤制作をして、
日本コロムビアへ提供されたレコードで、
日本コロムビアの通常盤以外に、アルファから限定盤が出ていたことを知りました。
ただ、不思議なのは、このレコードが発売されたのは74年7月で、
パイドパイパーハウスがオープンしたのは、それより1年以上も後の75年11月。
それなのに限定盤を在庫していたのは、のちに店長となった、
当時キャラメル・ママのマネージャーだった長門芳郎さんのコネクションでしょう。

Brute Force Steel Bands Of Antigua.jpg The Mighty Sparrow Sings True Life Stories.jpg

さて、もうひとつ、パイドパイパーハウスで案外知られていないのは、
民俗音楽のレコードにけっこう力を入れていたことで、
フォークウェイズやクックのレコードは、ここでよく買いました。
あと、レゲエやカリプソも、トロピカル・ミュージックと謳ってプッシュしていましたね。
マイティ・スパロウの“SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS”
を買ったのもここ。
それでよく覚えているのが、ライ・クーダーと“CHICKEN SKIN MUSIC” で共演して
話題となった、ハワイのギタリストのギャビー・パヒヌイのレコードです。

ライ・クーダーが共演を申し出たミュージシャンというので、興味シンシンだったんですが、
北中正和さんが「ニューミュージック・マガジン」76年12月号で、
「ギャビー・パヒヌイ・ハワイアン・バンドで2年前にライ・クーダーを
ゲストに迎えたアルバムをハワイで出したことがある(Panini Records PS1007)ので、
興味のある人は新婚旅行でハワイに行く友だちにでも買って来てもらえばいいだろう」
と書かれていたんですね。こんな一文を読んだら、そりゃあ欲しくなりますよね。

とはいえ、当時高校生の自分に、新婚旅行でハワイにいく友だちがいるはずもなく、
どうしたものやらと地団駄を踏んでいたんですが、
パイドパイパーハウスがパニニ盤を、まっ先に入れてくれたのでした。
その後、他の輸入盤店も入れるようになりましたけれど、
日本で最初に入れたのは間違いなく、パイドパイパーハウスです。

そんなふうに、アメリカやヨーロッパの音楽以外にも、目配りしていたお店であったことは、
シティ・ポップ/渋谷系再評価の文脈ばかりで語られがちな
パイドパイパーハウスの、あまり語られていない側面なんじゃないかな。

それが証拠に、その後沸き起こったサンバ・ブームでは、
前回紹介したブラジル盤の『お爺サンバ』のレコードを猛プッシュしたのも、
パイドパイパーハウスでしたからね。
たしか、お店のベスト・セラーにもなったんじゃなかったっけ。

宝島78年12月号.jpgそういえば、パイドパイパーハウスをモデル
にした記事をメインにした雑誌があったことを、
思い出しましたよ。棚を探してみたら、あった、
あった。宝島78年12月号『大研究! 輸入レコード
&ショップス」』。
その記事は「輸入盤専門店「宝島」本日開店!」。
このほか「輸入盤専門店 13 GUIDE」という記事には、
パイドパイパーハウスをはじめ、
このブログでも取り上げた芽瑠璃堂や
ディスコマニアが紹介されています。

なんでこんな古い雑誌をわざわざ
とっておいたかというと、別のページに、
このブログのオーナーが作った自主制作盤の紹介記事が
載っているからなんでした。
しかもそのレコードは、パイドパイパーハウスの
自主制作盤コーナーに置かれて売られていたのです。
同じコーナーには、日本を代表するスラック・キー・ギタリスト、
山内雄喜さん若かりし頃のパイナップル・シュガー・ハワイアン・バンドの
自主制作盤も一緒に並んでいたのでありました。うふふ。

余談が長くなりすぎましたけど、パイドパイパーハウスの向かいの
嶋田洋書も、よく通ったものです。パイドパイパーハウスぽい話題でいえば、
ノーマン・シーフの写真集“HOT SHOTS” をここで買いましたね。
日本版と内容が少し違っていて、ダン・ヒックスの写真が入ってたのが嬉しかったな。
どちらのお店も、高校・大学時代のデート中に立ち寄りしても、
彼女を退屈させないお店でありました。

[LP] 雪村いづみ 「SUPER GENERATION」 アルファ ALFA1001 (1974)
[LP] Gabby Pahinui "THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND" Panini PS1007 (1975)
[LP] The Brute Force Steel Band, The Hell’s Gate Steel Band, The Big Shell Steel Band "STEEL BANDS OF ANTIGUA, B.W.I." Cook 1042 (1955)
[LP] The Mighty Sparrow "THE MIGHTY SPARROW SINGS TRUE LIFE STORIES OF PASSION, PEOPLE, POLITICS" Mace MCM10002 (1964)

Musiliu Haruna Ishola  Authentic.jpg K1 De Ultimate  FLAVOURS.jpg

個人経営の小さな海外通販サイトの場合、
日本向けに送ってくれる店を探し当てるのがひと苦労というのは、
前回のワン・ワールドの回でお話ししましたね。

それとはまた別に、そもそも信頼のおける店を見つけることじたい、
やっかいなのが、ナイジェリア人オーナーのオンライン・ショップでした。
ナイジェリアといえば、419詐欺事件で世界中に悪名がとどろくほど
極悪商売人がゴロゴロいる世界なので、一筋縄じゃいかないんですよ。

海外通販を始めた頃、一番泣かされたのが、ナイジェリア人通販サイトです。
アメリカにナイジェリア人のオンライン・ショップがけっこうあって、
ジュジュ、フジ、アパラのタイトルがずらりと並んだカタログに、
狂喜乱舞してオーダーしてみると、届くのは、粗悪ブートレグなんですね、これが。

どうりで2.99~3.99ドルなんて激安価格なわけだと、
届いたCDRにアタマを抱えるんですが、
注意してみると、この価格帯で売っているお店はほかにもあり、
おそらくそれもブートレグ屋なんでしょうね。
30年前、レゴスやイバダンの貧しい地区でよく見かけたダビング屋
(カセットにダビングして売っているブートレグ屋)が思い浮かびます。

なので、まず、正規版をちゃんと売っているお店を見分けなきゃいけない。
といっても確かな見分け方があるわけではなく、
CD1枚8ドル以上の値段がついていれば、おそらく大丈夫かなという
あやふやな判断で、また新たな店を開拓してオーダーしてみるんですが、
今度はまた、別のトラブルが発生するんですね。

いちおうこのやり方で、正規版を送ってくる店は見つかったものの、
5枚オーダーしたのに、3枚しか送ってこないとか、
オーダーと違うものを送ってくるとか、一部にブートレグがまじっているとか、
まともにオーダーどおりのCDが届いたためしがなく、毎度毎度、怒り心頭。

そのたびにメールで苦情を言うんですけれど、
のらりくらりとかわしたり、不誠実な対応を繰り返す店が多く、
結局ラチがあかなくて、お付き合いをやめた店が何軒あったことか。
Nollywood Movies Onlne、Nigerian Store、Naija Home Movies、
Jjj Niger Movies、まあ、いろいろありましたよ。

ナイジェリア人ってのは、性悪かバカしかいないのかと、
悪態つきながら、粗悪CDRをゴミ箱に放り込み続けた末に、
Yell Africa と出会えたときは、涙がちょちょぎれましたよ。
毎回オーダー通りの商品がちゃんと届くしね。
そんなこと、当たり前じゃないかと言いなさんな。
それがナイジェリア人のお店じゃ、当たり前じゃないんだよー。

何回かオーダーして信頼感がわき、
その後まとめて10点以上オーダーしてみても、
トラブルは一度も起きませんでした。

Yell Africa とは5・6年付き合った後、
オーナーがナイジェリアに帰国するので、店をたたむというメールが届き、
ナイジェリア盤CDを扱っている別のお店を紹介してくれました。
サイトの閉鎖にあたって、こんな丁寧な引継ぎをしてくれたお店は、
後にも先にもここだけ。誠実なナイジェリア人もいるということを
教えてくれた、忘れられない通販サイトです。

Musiliu Haruna Ishola "AUTHENTIC" Corporate Pictures no number
K1 De Ultimate "FLAVOURS" Babalaje/Omega Music 065/066/067 (2005)

Dollar Brand African Herbs.jpg Abafana Baseqhuden  Poo Ke Nna.jpg

アフリカのCDでいちばん入手が難しかったのが、南アフリカ共和国(南ア)盤。
インポーターがいないのか、ワールド・ミュージック・ブーム時代にも、
南ア盤だけは日本にまったく入ってきませんでした。
スターンズに少しだけ南ア盤がありましたけれど、
直接南アから輸入できたらと思い続けていたので、
ワン・ワールドを探し当てた時は嬉しかったなあ。

そうだ、いま思い出したけど、
最初に南アのオンライン・ショップを見つけたのは、
ワン・ワールドじゃなかったんですよね。
ワン・ワールドに行きつくまでには、もう少し道のりが必要でした。
店の名前はもう忘れましたけど、最初に出会ったのはCD専門店ではなく、
アマゾンみたいなショッピング・モールでした。

そのお店で喜び勇んで、CDをいろいろとみつくろい、
いざオーダー手続きする段になったら、送り先に日本がないんですね。
えぇ~、日本には送ってくれないの?
オーダーの最後の最後で、それがわかるのって、けっこうショックでしたねえ。

昔はこういうことがよくあったんですよ。
レジスター登録をしようとすると、住所欄の国に日本がないとかね。
それでサイトの配送の説明を見に行くと、
「ウチは海外発送をしません」とかあったりして。

そんな店にいくつか当たったあと、行きついたのがワン・ワールドだったのです。
まず驚いたのが、カタログの膨大な量。
ぼくが探すのは、当然ながら南アの黒人音楽なわけですけれど、
考えてみれば、南アにはアフリカーンスの音楽もあるわけだもんねえ。
さらに、南アは欧米その他各国の音楽も自国のプレスで発売しているから、
ロック、ジャズなどのカタログも豊富。
ボブ・ディラン・マニアの人に南ア盤を買ってあげたら、すごく喜ばれたもんです。

さらに嬉しいのが、価格の安さ。
南アの物価水準はけっして低くはないんですけど、
円高・ランド安ということも重なって、CD1枚大体400~500円くらい。
さっきのボブ・ディランのような、海外ものがやや高くて、800円くらいでしたね。
送料も割安なので、いつも10枚以上まとめてオーダーしていました。

ただオーダーしたての頃、驚かされたのが、CDの送り方。
小包のような梱包をせず、大きめの封筒にCDをぶちこんで送ってくるだけという、
信じられないほど雑な送り方なんですよ。
十数枚ものCDを輪ゴムをかけるでなく、ただ袋に入れただけなので、
届いた時には、見事なまでにCDケースはすべて破壊しつくされているのでした。
いやあ、初めて届いた時は、笑ったなあ。

ジュウェル・ケースはバッキバキに割れ、トレイはひび割れ。
ここまで壊れていても、ディスクに傷はつかず、
ライナーも無事なのが幸いという感じで、
あまりにアフリカンな仕事に毎度脱力したもんです。
これ見て、けしからん!なんて怒るようじゃ、アフリカと付き合う資格なし。
まあ、一般の方には、とてもオススメできない通販サイトでしたねえ。

そしてサイトを利用し始めて、4・5年経った頃からでしょうか。
発砲スチロール製の緩衝材を入れて送るようになった時には、
おぉ、ついに南アもここまで来たかと、感慨深かったですねえ。

Music Of The Kalahari Bushmen.jpg

ワン・ワールドの自主レーベルがたった1枚だけ出したCDも忘れられません。
ボツワナのブッシュマンの音楽をフィールド録音したもので、
研究者向けの内容とはいえ、82年からカラハリ砂漠で録音を続けていた
ジョン・ブレアリーによる解説もとても充実したCDでした。
CD番号1番で、2番以降のCDは見たことがなく、
ワン・ワールドはおそらくこの1枚しか出さなかったものと思われます。

南アの通販サイトでは、のちにカラハリも利用するようになりましたが、
4年くらい前にワン・ワールドが閉店、カラハリは国内販売のみとなり、
南ア盤の入手ルートを失ってしまい、絶望の日々なんであります。

Dollar Brand "AFRICAN HERBS" As Shams/The Sun CDSRK (WL)786135 (1975)
Abafana Base Qhudeni "POO KE NNA" Gumba Gumba CDGB8 (1979)
(Field Recordings in Botswana) "MUSIC OF THE KALAKARI BUSHMEN: TSISI KA NOOMGA - SONGS FOR HEALING"
One World Music CD1 (1997)

Super Jazz Des Jeunes  VACANSES.jpg Edner Guinard & Son Orchestre.jpg

レコ掘りは足で稼げ、とはよく言われたことですけれど、
海外通販のサイト探しに、そんな体育会系な泥臭い根性は必要なく、
少し気の利くオツムがありゃ、オッケー。
検索スキルがモノをいう世界でありました。

どうやってこういうお店を見つけるんですかと、
よくバイヤーさんに訊かれたりもしましたが、
人には説明しづらい検索ノウハウがいろいろありましてねえ。
単なる検索スキルじゃなくて、キー・パーソンを見つけて、
そこからトレーダーに繋がったりとか、人脈を作るスキルも
いつのまにか身についたような気がします。

長年探した一枚を、実店舗で発見した喜びに比べて、
オンライン・ショップでポチッても味気ない、みたいなことを言う人がいましたけど、
それは、オンライン・ショップ探しの醍醐味を知らないだけの話なんですよね。

苦心惨憺の末、お宝ザクザクのお店を見つけた時のカンゲキといったら、
PCの画面に向かってガッツ・ポーズせずにはおれませんよ。
これまでに何度、ヤッター!と大声を上げたことか。
こんなに見つけにくいサイトを作っておいて、よく商売できるもんだと、
ヘンな感心をしたりしてね。

デルタ・レコーズを見つけた時が、まさにそれだったなあ。
発見した当時、ハイチ音楽は、ミニがかろうじてCD化を進めているくらいで、
他のレーベルはほとんどCD化されていないとばかり思っていたんですよ。

ところが、デルタ・レコーズのサイトには、
ジャズ・デ・ジュン、ヌムール・ジャン=バチスト、ウェベール・シコー、
シュレ・シュレ、スカシャ、ボサ・コンボなどなど、
日本にまったく入ってきていないCDがどっさり載っていて、
いやぁ、わが目を疑いましたね。

片っ端から全部カートに放り込みたい欲望にかられましたけど、
初めて利用するサイトの初回オーダーは、
慎重を期して、5点以内と決めていたので、
はやる動悸を抑えつつ、アイテムを選んでオーダー。
初回オーダーが無事到着したのを確かめると、それを皮切りに、
10点単位で怒涛の如くオーダーをし続けました。

「君が初めて日本からオーダーしてくれたお客さんだよ」とは、
これまでにいくつものオンライン・ショップから言われ続けてきましたけれど、
最初にその言葉をもらったのが、デルタ・レコーズだったんじゃなかったかなあ。
頻繁にオーダーしていると、そのうち相手もこちらの嗜好を理解してくれて、
カタログにないアイテムを教えてくれたり、オマケに送ってくれるようになったりね。

デルタ・レコーズが扱うレーベルは、イボ、マルク、チャンシーが中心で、
ミニ、ローテル、スーパースターは扱っていなかったため、
それらのレーベルのCDは、また別のお店を探し出して買うようになりました。

その後4・5年経つと、カタログの更新が止まってしまい、
すでにカタログのほとんどを買い尽くしていたので、
サイトを見に行くこともなくなってしまいました。
気が付いた時には、すでにお店は閉鎖されたあとでしたね。

5・6年前だったか、ストラットが60~70年代コンパの編集盤を出したときに、
収録曲のオリジナルをすべて知っていたのも、デルタ・レコーズのおかげ。
ハイチ音楽を深掘りするのに、またとないお店でありました。

Super Jazz Des Jeunes "VACANSES" Ibo CD113 (1962)
Edner Guinard & Son Orchestre "LES BELLES MERINGUES D’HAITI" Marc CD400 (1960)

Ede Gidi.jpg

10年ほど前、「忘れじのレコード屋さん」という記事を書いたことがありました。
CDが主流メディアとなり、街からレコード屋がすっかり消えてしまったので、
昔よく通ったレコード屋の思い出を、6回シリーズで語ってみたんですけれども。

あれから10年。時は移ろい、サブスクが全盛となってCDショップが次々と閉店し、
海外の通販サイトも消えゆく時代となりました。
これまでお世話になった海外のオンライン・ショップが撤退や閉鎖を余儀なくされ、
お付き合いは年々減る一方です。

思い返すと、PCを買って初めて利用した海外通販サイトは、
アメリカのCDNOW でしたね。
94年に、ペンシルヴェニアで創業したオンライン・ショップです。
のちにアマゾンに吸収されてしまいましたけれど、
日本の輸入CDショップに入荷しないCDをオーダーするため、使い始めました。

やがて大手のCDショップばかりでなく、
小さな専門店を探り当てては、渡り歩くようになっていくんですが、
その手始めの店が、ロンドンのスターンズでした。
最初にオーダーしたときのインヴォイスを見ると、
日付は01年9月24日となっていますね。もう20年も前なのかあ。

日本に入ってこないナイジェリアのジャズホール盤で、
エディー・ジーの“U-ROO BA VYBE DIALEKTICS” ほか計4枚を買っています。
う~ん、なつかしい。

インターネットをダイヤルアップで接続していた時代で、
♪ピー、ヒョロロ~♪ という接続音を聞きながらページをクリックするという、
今の若い人には、なんのことやらわからないだろう、のんびりした時代でした。
ネットがサクサク動くという概念すらない時代で、亀のようにのろいレスポンスでも、
画面を覗き込んでは、どきどきしながらサイトのカタログをチェックしていたものです。

Mamman Shata  Polydor.jpg Mamman Shata  Premier Music.jpg

スターンズの実店舗には、ロンドン出張したときにもよく通ったんですが、
その時に買ったナイジェリア、ハウサの名プレイズ・シンガー、
マンマン・シャタのポリドール盤のA面がCD化されて、
オンラインのカタログに載ったときは喜び勇んだっけなあ。
ソッコー、オーダーすると、すぐにカタログのカート欄が
out of print のグレー表示に変わり、首尾よく1点ものをゲットできたのでした。
ナイジェリア音楽でヨルバやイボの音楽に比べて、
ハウサ音楽は入手困難なだけに、LP・CD双方をスターンズから買ったのは、
不思議な巡り合わせで、感慨深かったです。

ロンドンとニュー・ヨークのお店はすでに閉店してしまいましたが、
ウェブ・サイトはまだ生きています。
というものの、もう2年以上もカタログは更新されておらず、
在庫もすべて売切となったまま。これじゃまるで、幽霊サイトだよねえ。
ずいぶんお世話になったお店だけに、なんともさみしい話であります。

Ede Gidi "U-ROO-BA VYBE DIALEKTICS" Jazzhole JAH001D (1997)
[LP] Alhaji Mamman Shata "ALHAJI MAMMAN SHATA" Polydor POLP121 (1985)
Alhaji Dr. Mamman Shata "THE LIVING SONGS OF THE LEGEND (SERIES 1)" Premier Music PMCD019

Runa Laila  UTHALI PATHALI.JPG Kanak Chapa  EK SAGAR ROKTER BINIMOY.JPG

Momotaj  BIROHER KANTA.JPG Abdul Alim  HALUDIA PAKHI.JPG

90年代に通っていた池袋でバングラデシュのお店といえば、パロングでした。
残念ながらCDは売っていなくて、お店にあるのはカセットだけだったんですけれど。
「バングラデシュにはCDはないの?」と訊いてみると、
イギリスから輸入されたバングラ・ビートのCDはあっても、
現地制作のCDはまだないらしく、カセットが主流のようでした。

ゆいいつ1枚だけあったCDが、バングラデシュのヴェテラン女性歌手ルナ・ライラのCDで、
在日バングラデシュ人が日本でプレスして、同胞向けにリリースしていたものでした。
“UTHALI PATHALI” の発売元、FMインターナショナルは、
日本初の在外コミュニティ・レーベルだったのかも。
もっとも、CD番号1番を飾ったこのアルバムを出しただけで、あとが続きませんでしたけれど。

このほかにも在日バングラデシュ人たちは、ルナ・ライラを日本へ招聘し、
95年4月に板橋区立文化会館でコンサートを開いています。
パロングはカセットしかないからと、ある時から通わなくなってしまったために
コンサート情報をキャッチしそこね、あとで地団駄を踏んだものでした。

あれから10年。
バングラデシュ人の店が埼京線板橋駅の近くにあると聞き、訪ねてみました。
バティクロム・フーズというそのお店には、もはやカセットの姿はどこにもなく、CDがてんこ盛り。
レジの後ろのカウンターに雑然と平積みされていて、ミャンマーのお店と同じ感じ。
ミャンマーのお店ではCD1枚600円前後でしたけど、ここは1枚380円と激安です。
(7年も前の話なので、今はどうか知りません)

バティクロム・フーズでは、大ヴェテランとなったルナ・ライラの新作や、
同じくヴェテランのプレイバック・シンガー、サビーナ・ヤスミンほか、
ポップ・ガザルのカナック・チャパ、ポップ・バングラのモモタス、
ベイビー・ナズニンなど、いろいろと買いましたが、
ベンガル民謡の大御所アブドゥル・アリムのCDを見つけたのが収穫でした。

バングラデシュの店員さんは話好きなうえ、流暢な日本語を喋るので、会話もはずみます。
バングラデシュの人は穏やかで、お人よしなタイプの人が多く、
インド人・パキスタン人とはずいぶん違う印象がありますね。
どちらかといえば、ミャンマーやヴェトナムに近い国民性を感じます。

Runa Laila "UTHALI PATHALI" F.M. International FMCD0001
Kanak Chapa "EK SAGAR ROKTER BINIMOY" Sonali Product no number
Momotaj "BIROHER KANTA" Music Zone MZ010
Abdul Alim "HALUDIA PAKHI" Eros no number

Googoosh  HARF.JPG Hayedeh  PADESHAHE KHOBAN.JPG

Moin  SOHBET BEKHAIR AZIZAM.JPG Noosh Afarin  NAZANIN E ASHEGH.JPG

各国大使館主催のフェスティバルが代々木公園で年一回開かれるようになり、
週末の代々木公園は、在日外国人と日本人が一緒に楽しめる場としてすっかり定着しましたね。
「今週はどこ? タイ?」なんて気楽さで日本人も大勢遊びに来て、
草の根の国際文化交流も、この十年でずいぶん根付いた感を覚えます。

「代々木公園と外国人」というと忘れられないのが、日本に出稼ぎに来たイラン人たちが、
日曜日になると代々木公園に何千人もの規模で集まるようになった90年のことです。
イラン人が集まっているという噂を聞きつけ出かけてみると、小さな屋台が出ていたり、
フリー・マーケットのようにお店を広げている人も大勢いて、ちょっとしたバザール気分。
なかにはペルシャン・ポップスのCDを売っているオヤジもいて、
ぼくにとっても見逃せないスポットとなりました。

多くのイラン人たちは、ただ同胞との情報交換や出会いを求めて集まっていただけなのに、
一部の不良イラン人による変造テレホンカードの密売などが大げさに報道され、
世間の目も犯罪の温床のような偏見に満ちたものとなり、次第に社会問題化していきました。
そんな折も折、92年に日本経済のバブルが見事にハジけ、
不法残留のイラン人を狙い打ちにした取り締まりが厳しさを増し、
93年を境に、街からイラン人の姿はあっという間に消えてしまいました。

結局、代々木公園のイラン人バザールも、2年ぐらいしか続かなかったのかなあ。
それまでの日本にはなかった雰囲気がとても気に入っていただけに、すごくがっかりしたものです。
あ~、ペルシャン・ポップスを安く買える場所もなくなっちゃったなあ、なんて思ってたんですが、
しばらくして95年の夏だったか、
渋谷東急イン近くのビルにイラン人のお店ができたという噂を耳にしました。

それだけの情報で見つかるかなあと半信半疑で探しに行ったんですが、
東急インの2軒隣のビルに、「イラン・ショップ」とカタカナで書かれた袖看板をあっさりと発見。
エレベーターで5階まであがってみて、びっくりしたのなんのって!
ものすごい量のCDが置いてあったんですよ。
在日外国人ショップでは破格ともいえるCD在庫量で、普通の在日外国人ショップが、
雑貨のついでにCDも少し置いてあるのと逆で、
ここはCDのついでに雑貨を少し置いてあるといった感じ。

店へ一歩入るなり、コーフンしましたねえ。
だって、グーグーシュなんか、20タイトル近くずらーっと並んでるんですよ!
当時グーグーシュはカルテックス盤がWAVEなどのお店にも入っていましたけれど、
ここにはそれまで聞いたこともないレーベルのCDがずらりと並んでいて、目がクラクラしました。
代々木公園の露店で、日本語もたどたどしいオヤジが売っていたのとは、隔世の感がありましたね。

CDはすべて面出しで並べられ、その奥に在庫が積まれているという陳列方法も美しく、
棚にずらり並んだCDを一望に眺められるのは、壮観でした。
もちろん値段の方は在日外国人ショップ価格で、すべて1枚千円という安さ。
初めて行った時、20枚近くどっさり買ったら、店のスマートな兄貴に驚かれ、
お茶を振舞われながら、ペルシャン・ポップスや古典歌謡の話などをして盛り上がっちゃいました。

ビジネスマン・ライクな店のガイは、一目でかつての出稼ぎ者とは違うとわかるインテリ・タイプ。
聞けば大学卒、日本語も堪能でした。店の正式名はイランジャパントレーディングで、
貿易商のかたわら店舗販売をやっており、相当な野心家に見えました。
ペルシャ古典音楽の歌手の名前がすらすら出てくるような教養人で、
こんなイラン人、後にも先にもこの人しか知りません。
もっといろいろ教えてもらいたかったんですけど、
このお店もその後2・3年しか持たず、ある日突然閉店してしまったのはショックでした。

Googoosh "HARF" Pars Video CD#717/66
Hayedeh “PADESHAHE KHOBAN” Pars Video CD591/39 (1992)
Moin “SOHBET BEKHAIR AZIZAM” Taraneh Enterprises TARCD71 (1992)
Noosh Afarin "NAZANIN E ASHEGH" Taraneh Enterprises CD209

Roberto Pacheco  TECHONOCUMBIA CON ALPA.JPG Rossy War Y Su Banda Kaliente  VOLUMEN 2.JPG

Ada Y La Nueva Pasion  VETE AL… DIABLO!.JPG Eva Y Los Pecadores  MI CANTO.JPG

鶴見に住んでいた頃、通勤で使っていた京浜東北線は、
在日外国人ショップへ寄り道するのに、ちょうど都合が良かったんです。
会社帰りに大井町でメコン・センター、鶴見でトゥカーノへというふうにね。
蒲田には、川崎のペルー・レストランで教えてもらったペルー人ご用達のキョウダイがあって、
駅からちょっと遠いのが玉に瑕でしたけど、よく通いました。

キョウダイは、ちょっとしたミニ・スーパー・マーケットといった感じのきれいなお店で、
出稼ぎ人たちのパスポート更新や、航空券取扱い、送金代行業務も行っていたため、
ちゃんとカウンターがあり、事務所フロアもありました。
もっとも送金代行業の方は、日本の法律知識が不足していたことから、
警察に摘発されるなんて事件が起こったりしましたけど、略式起訴ですぐにケリがついています。

でも、この時の新聞に、「ペルー人地下銀行摘発。マネーロンダリングか」などと
センセーショナルな記事が踊ったことが忘れられません。
全国五大紙揃いも揃って在日外国人を犯罪者扱いするような書きぶりで、
外国人蔑視の心理も露骨な偏向記事でした。
その後嫌疑が晴れても、追跡記事を載せることもなく、まさしく書きっぱなしの典型。
こうやってマスコミは、「外国人労働者は危険だ」という空気を作るのかと、怒りを覚えたもんです。

さて、そのキョウダイへ通うようになったのは、テクノクンビアのペルー盤を買うのがお目当て。
以前テクノクンビアとの出会いを記事にしましたけれど、
https://bunboni.livedoor.blog/2010-08-12
2000年当時、テクノクンビアのCDは、日本のCDショップにはまったく輸入されていませんでした。

昨今のクンビア・ブームで、テクノクンビアにも10年遅れでスポットがあたり、
当時のCDが輸入されたりしていますけれど、正直、旬はもうとっくに過ぎちゃってますね。
一番人気だったルツ・カリーナも新作をちっとも出してないくらいで、
一時期のチープなローカル歌謡ブームで終わったんでしょう。

キョウダイはその後02年に五反田の駅前ビルに移転してぐっと店舗面積も広がり、
ペルーの公的書類の取得から、ペルー人の日本社会での生活相談、
ペルー文部省公認の小中学校通信教育まで事業を拡げました。
キョウダイが移転した大きなビルのすぐ隣の雑居ビルには、
ペルーの食材や雑貨を扱うムンドラティーノという小さな在日ペルー人ショップがあり、
偶然にもテクノクンビアのCDを扱う2つのお店が、五反田で肩を並べていたのでした。

Roberto Pacheco "TECHONOCUMBIA CON ALPA" Producciones Idolos no number
Rossy War Y Su Banda Kaliente "VOLUMEN 2" Mediasat América AD05441 (1998)
Ada Y La Nueva Pasíon "VETE AL… DIABLO!" Iempsa IEM0434-2 (2000)
Eva Y Los Pecadores "MI CANTO" Iempsa IEM0479-2 (2001)

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