after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

Searching for good music of the world

カテゴリ: 南アメリカ

Malembe  PURO MELAO
ベネスエーラ音楽の原稿依頼を受けたのをきっかけに、
昔さんざん愛聴したCDをいろいろ思い出して、連投してしまいましたが、
今回でいったん打ち止めにしましょう。

最後にご紹介するのは、女性ヴォーカル・カルテットのマレンベ。
日本で紹介されたことはおそらく皆無だと思いますが、
知られないままでいるのは、あまりにもったいないグループです。
はじめて聴いた時、クァルテート・エン・シーみたいなグループが、
ベネスエーラにもいる!と驚愕しました。

マレンベは、クアトロ奏者のラウル・デルガードのヨーロッパ・ツアーに参加した
サロメ・メンデスとローラ・ストルビンガーが出会ったことで、
誕生したヴォーカル・グループ。
クラリス・ブリセーニョ、ニンファ・ゴンサレスの4人にメンバーが固定して、
87年に初LPを出しました。ぼくが持っているのは2作目となる95年のCD。

ベネスエーラにはセレナータ・グアヤネサという
老舗の名ヴォーカル・グループがいますけれど、
マレンベとの決定的な違いは、その高度な芸術性にあります。
ベネズエーラのフォークロアをレパートリーとしているのは
セレナータ・グアヤネサと同じでも、
対位法を駆使した複雑なハーモニー・アレンジを施し、
そのアーティスティックな姿勢は野心的ともいえます。

さらに驚くべきは、このレコーディングがオーヴァーダブなしの
同時録音で行われたということで、その息の合ったハーモニーから
すさまじい集中力が伝わってくるのも、むべなるかなです。
このCDを聴けば、ぼくばかりでなく誰もが「ベネスエーラ版クァルテート・エン・シー」と
受け止めるんじゃないでしょうか。
クァルテート・エン・シーのコーラス・アレンジには、
ルイス・エサという天才が腕を振るいましたが、
マレンベはアレンジと音楽監督を務めたヒルベルト・レボジェードがキー・パーソン。

クアトロを演奏するニンファを除くマレンベの3人は楽器を弾かず歌専門で、
音楽監督のヒルベルトがギター、クアトロ、鍵盤を演奏するほかは、
コントラバス、パーカション、サックスが控えめに伴奏を付けるのみで、
コーラスを前面に押し出しています。

4人それぞれが特徴のある声を持っていて、
4人でぴたりと合わせる時のハーモニーの立体的な美しさや、
4人がバラけてモアレのように声がレイヤーする対位法のラインには、
思わず息を呑みます。
柔らかな女声が織りなすコーラスは極上というほかありません。
Simón Díaz  GOLPE Y PASAJE
アルバム・ラストは、ベネスエーラ民衆文化の父
シモン・ディアスの代表曲となった ‘Caballo Viejo’ 。
スペイン語圏のみならず、世界中に知られたトナーダ名曲ですね。
オリジナルは80年の “GOLPE Y PASAJE” 収録曲でしたけれど、
ジプシー・キングが替え歌にした「バンボレオ」で一躍有名になった曲であります。
カエターノ・ヴェローゾからフリオ・イグレシアスまでカヴァーしたこの曲、
ぼくの一番好きなカヴァーがこのマレンベのヴァージョンです。

Malembe  "PURO MELAO"  Lyric  CD93038  (1995)
Simón Díaz  "GOLPE Y PASAJE"  Cálidos Producciones Artísticas  FD88120081298  (1980)

El Trio  EL TRANCAO Luisa Elena Paeano  EL TRANCAO PARTE Ⅱ
ポピュラーとクラシックの垣根が低いベネスエーラならではの音楽家に、
ルイサ・エレナ・パエサーノ(1941-2019)がいます。
1941年5月21日、カラカスの音楽家一家に生まれ、
クラシック音楽を聴いて育った女性ピアニストです。

4歳でピアノを始め、フアン・マヌエル・オリバレス音楽院で
名だたる教授陣の指導を受け、クラシック・ピアニストとして成長する一方、
バンドーラ奏者だった祖父のホセ・タデオ・モナガスから受け継いで、
ベネスエーラの伝統音楽に傾倒したという人なんですね。

ルイサが作曲した100曲を超すレパートリーは、
ホローポ、ポロ、メレンゲ、ヴァルスといったベネスエーラの伝統様式に沿ったもので、
彼女は自分は19世紀のベネズエラ作曲家の後継者だと語っています。
その時代には、テレサ・カレーニョ、ラモン・デルガド・パラシオス、
フェデリコ・フォルメル、ラファエル・イササ、リカルド・ペレスなどの
作曲家たちが活躍し、20世紀になると、フアン・バウティスタ・プラザ、
エヴェンシオ・カステリャーノス、モイセス・モレイロ、イノセンテ・カレーニョといった
アカデミックなピアニストたちによって新たな民族主義運動が起こったと、
 “EL TRANCAO” のライナーノーツにあります。

残念ながら、先に挙げた名前の一人も知らない自分にとっては、
ベネスエーラにもショーロと同じくらい古い歴史を持つ音楽があったんだな
ということくらいしかわからないのですが、こうした歴史の系譜に連なって
エル・クァルテート、アンサンブル・グルフィーオ、サウル・ベラといった音楽家たちが
登場してきたということがよく理解できます。

ルイサの代表曲となったのがメレンゲの ‘El Trancao’ で、
69年にパリのヴェルナ・ホールで賞を受賞し、
ラテン・アメリカ各地の画家や彫刻家のドキュメンタリーのテーマ曲にも選ばれました。
90年にルイサはラモン・ナルバエス・マラベ(コントラバス)、
ディディモ・デュラン(クアトロ)とトリオを組んで、97年に初作の “EL TRANCAO” を、
翌78年にルイサ名義で続編となる “EL TRANCAO PARTE Ⅱ” を発表します。

ラモン・ナルバエス・マラベは数多くの交響楽団や管弦楽団と共演してきた
名コントラバス奏者であるばかりでなく、オペラのテノール歌手でもある人。
そんなキャリアから完全にクラシック畑の音楽家かと思えば、
クアトロもアルパの演奏もするというのだから、驚かされます。
スリア州出身のディディモ・デュランは、
カラカスに出てフアン・ホセ・ランダエタ国立音楽院で学び、
卓越としたクアトロ奏者として、また歌手としても頭角を現しました。

黒のスーツに蝶ネクタイというフォーマルな姿のジャケットはクラシック仕様ながら、
中身はベネスエーラのフォークロア色豊かなリズムとメロディが満載のアルバム。
カラカスのメレンゲを演奏する都市弦楽に夢中になっていた時に聞いた
ピアノ+クアトロ+ベースというフォーマットは、とても耳に新鮮で愛聴しました。
思わずブラジルのカロリーナ・カルドーゾ・ジ・メネージス(1913-2000)という
女性ピアニストを思い浮かべたものです。
Carolina Cardozo De Menezes
カロリーナもクラシックを勉強して、プロになってからポピュラー音楽に転向した人で、
クラシックのしっかりとした基礎のうえでサンバ、マルシャ、ショーロを演奏していました。
ベネスエーラに限らず、ラテン・アメリカ世界は
クラシックとポピュラーの垣根が低いんだなあと、こうしたアルバムから実感できますね。

El Trio  "EL TRANCAO"  Leon  3008  (1997)
Luisa Elena Paeano  "EL TRANCAO PARTE Ⅱ"  Leon  CD3019  (1998)
[10インチ] Carolina Cardoso De Menezes  "SUCESSOS EM DESFILE NO.1"  Odeon  LDS3005  (1954)

Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  CON BAJO Y TODO Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  2 SETS CON OSCAR  1977
  Oscar D'Leon Y Su Salsa Mayor El Oscar de la Salsa 1977  Oscar D'Leon Y Su Salsa Mayor 1978
ベネスエーラ音楽特集とあれば、当然取り上げられるのは、
ベネスエーラが生んだ最高の歌手、オスカル・デレオンでしょう。
セレクトされたのは、万人が認める大名盤の78年の2枚組。

サルサ絶頂期に残された本作が、当時とてつもなく新鮮だったのは、
ニュー・ヨークに暮らすプエルト・リカンが生み出すサルサとはまるで感触の異なる、
純正キューバン・ミュージックの香りを湛えていたからでした。

ニュー・ヨークのサルサ・シーンと関わりなく、
ベネスエーラで歌手活動をしていたオスカルにとって、
自分が憧れるキューバ音楽をストレートに演じることに、
ニューヨリカンがアイデンティティに苦悩するような
問題を抱える必要はまったくなかったはず。
屈折のない自由さがオスカルの歌声をまばゆいほどに輝かせていたんだと思います。

のちにオスカルがキューバ公演を行って、
「ベニー・モレーの再来」と絶賛されたことは最高の名誉だったはず。
そんなオスカルが最高潮でノリにノッた歌声を聞かせていたのは、
ディメンシォン・ラティーナを退団して、76年に自己の楽団サルサ・マイヨールを率いて
旗揚げ直後の時代。78年の2枚組に至るまでの4作はどれも傑作揃いです。
Oscar D’Leon  NAVIDAD CON OSCAR D’LEON Koquimba  KOQUIMBA Y OSCAR D’LEON
そんなオスカルがゆいいつベネスエーラ音楽に取り組んだ異色作があります。
それが89年のクリスマス・アルバム。
コンベネスエーラとウン・ソロ・プエブロの元メンバーたちが結成したコスタ・カリベが
伴奏したユニークなアルバムで、河村要助さんのカヴァー・デザインで日本盤も出ました。
ベネスエーラ音楽特集には、このアルバムの方が企画にふさわしそうに思えるものの、
これをセレクトしなかったのもよくわかります。

オスカルがアギナルド、ガイタ、パランダ、タンボレーラなどを歌うという、
他では聞けない貴重なアルバムなんですけれど、
肝心のオスカルから、いつものパワフルな歌唱が聞こえてこないんですね。
最初聴いた時、オスカルの声が別人のようで戸惑ったほどです。

むしろ良かったのは、87年にマラカイボで結成された
新進ガイタ・グループの92年作に客演したアルバム。
オスカル人気にあやかり、タイトルにでかでかとオスカルの名を掲げているものの、
オスカルが参加したのは全16曲中、オープニングの1曲だけ。
そのガイタ・スリアーナで、いつものオスカル節をパワフルに炸裂させて、
最後はお得意の掛け声も繰り出す、最高の歌いぶりを聞かせてくれます。

とはいえオスカルが本領発揮できるのは、ベネスエーラの音楽ではなく、
やっぱりキューバンであることは間違いないところですね。

Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  "CON BAJO Y TODO"  TH  CDP1480  (1976)
Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  "2 SETS CON OSACR"  TH 1A501-00581A  (1977)
[LP] Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  "EL OSACR DE LA SALSA"  TH  THS2026  (1977)
[LP] Oscar D’Leon Y Su Salsa Mayor  "OSACR D’LEON Y SU SALSA MAYOR"  TH  THS2036  (1978)
Oscar D’Leon  "NAVIDAD CON OSCAR D’LEON"  TH  1A501-00594A  (1989)
Koquimba  "KOQUIMBA Y OSCAR D’LEON"  Mara  CCD0006  (1998)

Tambor Urbano Tambor Urbano  LA RUMBA
ミュージック・マガジン今月号(2026年3月号)のベネスエーラ音楽ディスク・ガイドで、
タンボールの代表格としてセレクトされたのがウン・ソロ・プエブロ。
76年カラカスで結成されたこの名グループについては、寄稿させてもらったので、
ウン・ソロ・プエブロの後から登場したタンボール・ウルバーノを紹介しましょう。

ベネスエーラ各地にある郷土芸能ともいえるタンボールは、
60年代以降にラテン・アメリカ諸国でわきあがった「新しい歌」運動に刺激されて、
ベネスエーラの民衆文化復興運動として見直されるようになりました。
そうした運動の中から登場したウン・ソン・プエブロは、
商業的なヒット曲を多数生んで、大きな存在感を示すようになります。

フォークロアな伝統音楽に新たな息吹が与えられて生み出されたタンボールは、
サルサやメレンゲなどの音楽にも接近し、80年代後半になると
ホーン・セクションも導入するようになって、ポップな方向性へと舵を切ります。
こうしたサルサふうのラテン・トロピカルな曲がヒットする一方で、
カラカスなど都会のクラブでは、打楽器と歌だけのオーセンティックなタンボールで、
若者たちが踊るという現象が現れるようになりました。

その象徴となったのが89年結成のタンボール・ウルバーノで、
CDジャケットのグラフィックに彼らの音楽性が見事に表現されています。
96・97年作のどちらにも夜の都会のビルディングと太鼓(タンボール)が配されていて、
そのチープなイラストは、トロピカル・ポップを逆手に取り、ちゃかしているかのよう。

タンボール・ウルバーノは、中央海岸地方各地のリズムを融合して、
どの地域のものでもない都会のタンボールをクリエイトして、
都会の若者が求める野性へのニーズを満たしたのでした。
この2枚はなんとゴールド・ディスクにも輝いたんだそうです。

タンボール・ウルバーノのタンボールは、
各地域のタンボールが持つ複雑なスウィング感やニュアンスに乏しく、
すっきりとした平明なビート感が、本場のリズムを知る者には単調にも思えます。
たとえば港町プエルト・カベージョのサン・ミジャン地区に伝わる
アフロ色濃厚なタンボールと比較してみれば一聴瞭然。

Tambores De San Millán
アフロ・ベネスエーラ文化復興運動で注目された
タンボーレス・デ・サン・ミジャンは、太鼓と歌の真正性にこだわるがゆえ、
商業レーベルを拒絶して自主制作でリリースしています。
苦心して入手したCDはパーカッション・ミュージックの大傑作で、
ベネスエーラのタンボールの魅力が詰まっています。

しかし都会でこうした生音のみのフォークロアなダンスを求められたのは面白い現象。
経済が崩壊して国外脱出で大混乱をきたしたベネスエーラで、
その後タンボールがどうなったのか、視界不良となったまま知る由もありません。

Tambor Urbano  "TAMBOR URBANO"  Foca  CD20502  (1996)
Tambor Urbano  "LA RUMBA"  Foca  CDF10.390  (1997)
Tambores De San Millán  "LAS VOCES DE SAN MILLÁN"  R.U.R.  FD2522002572

Gran Coquivacoa  DE ANTOLOGIA Gran Coquivacoa  30 ANIVERSARIO
Gran Coquivacoa  …DE PUNTO ALFA Gran Coquivacoa  LÚMINOS
ベネスエーラ音楽特集でグアコが選ばれるのは当然として、
どの作品がセレクトされるのか気がかりでした。
日本でグアコが初めて話題になって日本盤も出た87年作 “MADURO...” か、
88年作の “...DEJANDO HUELLA” あたりなんだろうと思っていたら、
選ばれたのはなんと81年作の  “GUACO 81”!

これには驚きました。
本作をグアコの最高傑作と思ってきたものの、
日本ではほぼ完全無視されてきた作品だけに、このセレクトにはカンゲキしきり。
かつて『定盤1000』(ミュージック・マガジン)で一度選ばれたことがあるだけの本作、
今回選盤して記事を書かれたのは、『定盤1000』でも取り上げていた山本幸洋さんで、
今回の特集の総論も執筆されています。いやぁ、さすが慧眼です。

ガイタのグループでは、グアコよりグラン・コキバコアの方が断然好きなんですよ。
だいぶ昔の話ですけれど、「ラテン/カリブ音楽オールタイム・アルバム・ベスト30」を
ミュージック・マガジンで特集したときも、
グラン・コキバコアを選んでグアコは選外にしました。

グアコは時代とともにどんどんサウンドを変化させていき、
どんどんフュージョンぽくなっていくのが、ぼくにはとても不満でした。
フーロの響きなどまるっきり聞こえないバンドになり果てて、
ガイタを名乗る資格などない、ただのラテン・トロピカル・バンドになったからです。

そこでぼくが絶対支持していたのがグラン・コキバコアです。
グアコ同様にガイタのポップ化を進めても、立脚点のガイタを見失うことはなく、
フーロ、タンボーラ、チャラスカといったパーカッション・アンサンブルは
常にバンドの屋台骨を支えていました。

マラカイボ湖畔の街カビマスから登場したグラン・コキバコアは、
カビマスに根付くチンバンゲレの太鼓アンサンブルによるガイタ・デ・タンボーラをベースに
タンボレーラを生み出し、全国区的な人気を博したバンドです。
グアコのガイタ・スリアーナがスペイン系の8分の6拍子なのに対し、
ガイタ・デ・タンボーラをベースに発展したタンボレーラはアフロ系の2拍子。
そのためサルサやメレンゲなどへの汎用性も高く、
ガイタのトロピカル・ポップ化を容易にしたともいえます。

Gran Coquivacoa  "DE ANTOLOGIA"  TH  1A501-00601A  (1995)
Gran Coquivacoa  "30 ANIVERSARIO"  Rodven  559393  (1995)
Gran Coquivacoa  "…DE PUNTO ALFA"  Foca  CD10429  (2001)
Gran Coquivacoa  "LÚMINOS"  Foca  CDF10464  (2004)

Barrio Obrero  40 AÑOS DE GAITA PURA Barrio Obrero De Cabimas  QUE SIGA LA GAITA
Barrio Obrero De Cabimas  COMO TODOS LOS AÑOS Barrio Obrero De Cabimas  EL CORAZÓN DE LA GAITA
ミュージック・マガジン今月号(2026年3月号)の「ニュー・スタンダード2020s」で
ベネスエーラ音楽が取り上げられ、ぼくもアルバム・レヴュー4枚をお引き受けしました。
伝統ガイタでディスク・ガイドに選ばれたのはリカルド・アギーレだけで、
バリオ・オブレーロが選ばれなかったのは少し残念。でも30枚じゃ、仕方ないよね。

というわけで、伝統ガイタのガイタ・スリアーナを演奏する最古参の老舗楽団、
バリオ・オブレーロについて書いておきましょう。
そもそもぼくが伝統ガイタに興味をおぼえたのも、グアコがきっかけでした。
グアコがアヴァンギャルドと称されているのが不思議でならなくて、
グアコが異端視されるガイタの本来の姿とは、どんなものかを知りたくなったんです。

伝統ガイタを演奏する、バリオ・オブレーロというグループがいるところまでは
なんとか突き止めたんですけれど、90年代当時
ベネスエーラ盤を日本で入手することは不可能でした。
2000年代になって、ビゴット財団などアカデミックなレーベルの作品が
ごく少量日本に入荷することはあっても、
ローカルなレーベルのCDはあいかわらず入手不可能なままでした。

そんなわけで、バリオ・オブレーロのベネスエーラ盤をようやく手にできたのは、
その名を知ってから10年以上経ってからのことでした。
マイアミのラテン音楽専門のオンライン・ショップにごくわずかのベネスエーラ盤があって、
カタログにバリオ・オブレーロの名を見つけた時は嬉しかったなあ。

日本でバリオ・オブレーロを知っている人はほとんどいないと思いますが、
旋律楽器はクアトロのみのパーカッション・アンサンブルで、
歌とコーラスがコール・アンド・レスポンスをする、
8分の6拍子の伝統ガイタをようやく聴くことができたのでした。

あらためてバリオ・オブレーロを紹介すると、
ベネスエーラ北西、スリア州のマラカイボ湖畔にあるカビマス市のなかで、
人口が集中するバリオ・オブレーロ地区で55年に結成されたグループです。
街の名前をそのままグループ名にとったんですね。
エクトルとアルベルト・シルバ・ナルバエス兄弟を中心として結成されたグループは、
64年に初のレコードを出し、以来現在に至るまで活動を続けていて、
昨25年に結成70周年記念のコンサートを開いています。

編成は結成当初から変わらず、クアトロに摩擦太鼓フーロ4~5台、
金属製ギロのチャラスカ、タンボーラ2台、マラカス複数、そして約15名の歌手陣で、
ガイタを特徴づけているのがフーロという打楽器です。
太鼓の打面の膜の中央に長い棒が突き刺さっていて、
その棒をこすってリズムを生み出します。ブラジルのクイーカと同じ構造ですね。
タンボーラは手の平ではなく、バチに似た太目のスティックで叩きます。

ガイタ・スリアーナは、スリア地方に根付くアフロ・ベネスエーラ文化が生み出した
チニータ信仰という民間信仰と結びついたダンス音楽を発祥としています。
スペイン起源のファンダンゴをアフロ・ベネスエーラ流に改変したダンスは、
チキンキラの聖母チニータなどの聖人讃や社会批評を歌詞のテーマにして、
チキンキラの祝日を中心に10・11・12月の3か月間を
シーズンとする、祝祭の芸能に発展していきました。

ようやく手に入れたバリオ・オブレーロのCDは、
95年に出た結成40周年記念盤と98年作の2枚。
のちに2000年代に入ってからのCDも2点入手しましたが、
音楽内容はどれもまったく変わることはありません。

それは98年作が証明していて、1~6曲目までの新曲のあと、
65年から95年までの曲を発表順に7曲目から19曲目まで
並んでいるんですが、見事なくらい変わってないんですね。
商業レーベルを拒否して自主制作でオーセンティックなスタイルを
守り続ける頑固さは、不変です。

グアコで親しんだガイタ・スリアーナの8分の6拍子で、
よりフォークロアな香りのする伝統ガイタは、存外に野趣なムードはなく、
クアトロのリズム・カッティングがもたらす、
清廉なすがすがしいリズム感で爽やかなグルーヴが楽しめます。
40周年記念盤に「純粋ガイタ」と題されているとおり、
まじりっけなしのガイタが楽しめ、いまではサブスクで後年の録音が聞けますよ。

Barrio Obrero  "40 AÑOS DE GAITA PURA"  Discomoda  601522  (1995)
Barrio Obrero De Cabimas  "QUE SIGA LA GAITA"  Mara  0011  (1998)
Barrio Obrero De Cabimas  "COMO TODOS LOS AÑOS"  no label  FD0612003237  (2003)
Barrio Obrero De Cabimas  "EL CORAZÓN DE LA GAITA"  no label  FD0612004419  (2004)

Irma Osno  Ayla Ayacucho
ペルー、アヤクーチョ地方の自然と先住民ケチュア人の営みを、
フォルクローレの様式が登場するよりも前の、
歌の原初にさかのぼって表現しようとする秩父在住イルマ・オスノの2作目。
ちらっと試聴しただけで、こりゃあ傑作だと確信し、
発売日に催される記念ライヴの会場で買おうともくろみました。

ヴォイス・パフォーマーと呼ぶにふさわしい、その類い稀なる歌声は、
デビュー作やさまざまな音楽家との共演で承知していましたけれど、
今作ほど自由闊達な発想のアレンジがイルマの歌声を引き立て、
相乗効果をもたらした作品はなかったんじゃないですかね。
日本人音楽家との共演によって、フォルクローレという様式に回収されることなく、
実験的な音処理もいとわずに、解き放たれた音空間で
ケチュアの魂に迫ろうとしています。

ライヴでも日本人音楽家の柔軟な音楽性が、
鮮やかなコラボレーションに結実していました。
なかでも、チューバ奏者高岡大佑との相性はバツグン。
高岡は板橋文夫オーケストラや渋谷毅エッセンシャル・エリントンなどでの
ジャズにとどまらず、即興や音響のフィールドに拡張して活躍しているミュージシャン。
八丈島の自然環境の中で、チューバの即興演奏をフィールド・レコーディングした
作品も出しているような音楽家です。
高岡大佑 Hachijo
また、清水悠のエレクトリック・ギターにも瞠目しましたよ。
アヤクーチョ県ビクトル・ファハルドのカルナバルの曲で、
メロディをいったん解体して分散和音でギター演奏するアレンジを施していて、
ハーモニクスを効果的に使った曲解釈にはウナりました。
この曲、CDではライヴ以上に大胆なパフォーマンスを清水は繰り広げています。
20250215 Irma 2

20250215 Irma 1
こうしたペルーで歌手活動していたら実現しえない、
ケチャア人としてのアイデンティティを問い直し、
ケチュアの魂を未来へとつなげようとするイルマの志が結実した傑作だと思います。
一点だけ制作側に注文をつけるなら、トラック・リストがすべて和訳なのは疑問。
スペイン語による曲名表記が欲しかったですね。

Irma Osno  「AYLA AYACUCHO」  TDA  002 (2024)
高岡大祐  「SOUND FISHING HACHIJO」  blowbass 005  (2020)

Saïna Manotte  KI MOUN MO SA.jpg Saïna Manotte  DIBOUT.jpg

サイナ・マノットというステキなクレオール・ポップのシンガーを知りました。
20年にデビュー作を出し、22年にセカンドを出しているんですが、
日本に入ってきたことがなく、お目にかかったことはありませんでした。

今年は寒さが厳しくなったあたりから、
アラブのシャバービーの女性歌手まつりが続いていたんですけれど、
サイナ・マノットはそれと似たテイストの人で、
フランス領ギアナのクレオール・ポップとしては珍しく、
哀感を強調するせつな系の歌い口のシンガーです。

サイナ・マノットは、92年フランス領ギアナの首都カイエンヌの生まれ。
17年に結婚したマキシム・マノットともに作曲・プロデュースしたデビュー作で、
ギュイヤンヌ・フランセーズの新しいミューズとして大きな注目を浴びました。
ラ・シガールで開かれたマラヴォワのコンサートのオープニング・アクトを務めたほか、
デデ・サン=プリのオープニング・アクトも務めたのだとか。

そのデビュー作では、サイナ・マノットがピアノ、シンセを弾き、
サイナの夫のマキシム・マノットがギター、ベース、アレンジを担い、
あともう一人のパーカッションの3人でサウンドを作っています。
あと曲によって、別のギタリストのサポートが付くだけですね。

22年のセカンドでも、サイナ以外の別の人が鍵盤をサポートしているものの、
少ない人数で制作している点は変わらず。
ヌケのあるサウンドが風通しよく、ヴァラエティ豊かな楽曲を
さまざまに料理していて、3人という少人数の制作とは思えないほど。
2作に共通するのは、楽曲の良さですねえ。

サイナのチャーミングな歌声が哀愁たっぷりの楽曲と絶妙にマッチして、
フレンチ・カリブのズークより、アンゴラのキゾンバに親和性を感じさせるこの2作、
日本で知られないままではもったいない。
輸入業者さん、ぜひ仕入れてください。

Saïna Manotte "KI MOUN MO SA" Aztec Musique CM2659 (2020)
Saïna Manotte "DIBOUT" Aztec Musique CM2805 (2022)

Magín Díaz  EL ORISHA DE LA ROSA.jpg

前回記事のアルバムをきっかけに始めたコロンビア盤輸入作戦でしたけれど、
まさかこのCDを入手できるとは思っていませんでした。
既に入手困難で、レアCDになっていると聞いていただけに、
「あるよ」の返事をもらった時は、思わずガッツ・ポーズしちゃったもんねえ。

マヒン・ディアスが誰かも知らず、いい味出してるオヤジが写ったジャケットに、
これ、ゼッタイいいヤツ!とヨダレを垂らしてたんですが、
いやぁ、手に入れてみて、想像をはるかに超えたトンデモ級の大傑作で、
大カンゲキしちゃいました。

Magín Díaz  EL ORISHA DE LA ROSA package.jpg

まずCDが届き、外装フィルムをはがして、装丁の豪華さにビックリ。
観音開きになっている左右には、上下に開くポケットが付いていて、
計4つのポケットには、それぞれCD、ブックレット、
18枚のアートカードを封入した、二つのエンヴェロップが入っています。
ひと昔前のコロンビアではとても考えられないような、
アーティスティックなパッケージに、ドギモを抜かれました。

ボーナス・トラックの2曲を含む全18曲、収録時間78分40秒に及ぶこのアルバム、
四大陸13か国から、100人におよぶミュージシャンとエンジニア、
19人のグラフィック・アーティストが参加して、
4年をかけて制作されたという、壮大なプロジェクト作品。
力作なんて言葉じゃ足りないくらいの、タイヘンなアルバムです。

マヒン・ディアスって、いったいどういう人?とあらためて調べてみると、
アフロ・コロンビア音楽の名曲を数多く生んだ歌手だったんですね。
22年、コロンビア北部ボリバル県マアテス市ガメロ村の生まれ。
貧しい家に生まれ、サトウキビ刈りの父親は歌手でダンサー、
製糖工場でコックをする母親はパレンケの女性が歌う
ブジェレンゲの名歌手だったというのだから、彼もまたパレンケーロなのでしょう。

読み書きを学ぶこともなく、幼い頃から製糖工場で働き、
工場でキューバからやってきた出稼ぎ労働者にキューバの曲や音楽を学び、
父親から歌や作曲、タンボーラを習って、音楽の才能を伸ばしていきました。
そんな少年時代にキューバ人から覚えたのが、
セステート・アバネーロが1927年に発表した ‘Rosa, Qué Linda Eres’ でした。
マヒン少年はこの曲を、ソンからチャルパの形式に変え、
自作の詩を付けて‘Rosa’ と題して歌いました。

のちにマヒンの代表曲となったこの曲が、本作のオープニングにも置かれ、
コロンビアの大スター、カルロス・ビベスとトトー・ラ・モンポシーナを迎えて、
マヒンは力強く歌っています。
オリジナルのアバネーロのヴァージョンにあった、悲痛なエレジーは消え失せ、
マリンブラの伴奏が祝祭の彩りを強調しているのは、
逃亡奴隷が自由を勝ち得たパレンケが、
この曲に新たな息吹を与えたことを示しています。

マヒンは、80年代にロス・ソネーロス・デ・ガメロのメンバーとなるまで、
レコーディングとは無縁に過ごしてきました。
コミュニティの外の世界では無名だった彼が、
作曲家として光があたるようになったのは、90歳を過ぎてからのことです。
12年に初のレコーディングを経験したあと、本作の制作が企画され、
17年に94歳で初アルバムを完成させました。

本作によってコロンビア政府は、アーティストに与える最高の評価である
文化省の「国家生活・労働賞」をマヒンに授与し、
その年のラテン・グラミー賞のベスト・フォーク・アルバムと
ベスト・パッケージ・デザイン・アルバムの二部門にノミネイトされました。
マヒンは、息子のドミンゴ・ディアスとともに、グラミー賞授与式に出席するため
ラス・ヴェガスへ向かい、最優秀フォーク・アルバム賞は逃したものの、
最優秀パッケージ・デザイン・アルバム賞を獲得したのです。

本作に参加した数多くのミュージシャンのなかで、
目立ったところだけ取り上げると、ブジェレンゲの名歌手ペトローナ・マルティネス、
アフロ・コロンビアン・エレクトロのシステマ・ソラール、
https://bunboni.livedoor.blog/2010-08-10
コロンビア版マヌーシュ・スィングのムッシュ・ペリネ、
メキシコはモンテレイのクンビア王、セルソ・ピーニャ、
元OK・ジャズの名ギタリスト、ディジー・マンジェク(18年にバロジと来日!)
https://bunboni.livedoor.blog/2018-03-27
DJ/トロピカル・ブレイクビーツ・メイカーのキャプテン・プラネットなど、
新旧世代の多士済々がマヒンを守り立てています。

マヒン自身も、90歳を超す年齢とは思えないパワフルな歌声で、
フィーチャリングされた歌手たちに負けない存在感を示していて、
圧巻の一語に尽きます。声を張り上げて高音を伸ばし続けて歌うさまに、
90年の人生を賭して初アルバムに駆ける鬼気すら感じて、
ゾクゾクしてしまいました。

マヒンはグラミー賞授与のために訪れたラス・ヴェガスで体調を崩して入院し、
病院で受賞を知った後に亡くなりました。
あと2日で、95歳を迎えようという日のことだったそうです
(12/30/1922 - 12/28/2017)。
これほどの素晴らしい大作を、生涯の最後に作り上げて逝くなんて、
これ以上ない音楽人生のフィナーレといえないでしょうか。

Magín Díaz "EL ORISHA DE LA ROSA" Noname/Chaco World Music no number (2017)

Totó La Momposina, Grupo Bahía, Orquesta De Lucho Bermúdez  OJO DE AGUA.jpg

トトー・ラ・モンポシーナの新作が19年に出ていると聞いて、
欲しいなぁ~と思っていたんですが、
コロンビア国内でしか売っていないというので、クヤし涙をのんでおりました。
なんだかここ2・3年、コロンビア国内のみで流通している作品が
目に付くようになってきたなあ。

こりゃあ、なんとかせにゃいかんと、
「コロンビア盤輸入作戦本部」を立ち上げて、対策に乗り出しましたよ。
てのはウソですが、本腰を入れて入荷ルートを開拓しなければと。
根気よくお店をあたり続けて、オファーを受け入れてくれるところを
ようやく見つけ、オーダーしました。

初めてのお店だったので、遅配などのトラブルを防ぐため、
DHLで送ってもらったんですけれど、案の定というか、税関で開封され、
税関御用達の補修テープぐるぐる巻きで届きました。
う~む、税関って、DHLだろうが容赦ないのね。
コロンビアからCDを輸入すると、毎回必ず税関に開封されるんだけど、
これって、何を疑ってんの? 麻薬?
ペルーからの荷もときどき開封されるけれど、ブラジルは一度もないな。

で、届いたこのアルバムなんですが、トトー・ラ・モンポシーナの新作ではなく、
グルーポ・バイーア、オルケスタ・デ・ルーチョ・ベルムーデスという、
アフロ・コロンビア音楽を代表する三者による、豪華共演作だったんですね。
オープニングのルーチョ・ベルムーデス作のマパレ ‘Prende La Vela’ で、三者が共演。
39年結成のコロンビアの名門、ルーチョ・ベルムーデス楽団をバックに
トトーが歌うのなんて、初めて聴くなあ。
コスタ(カリブ海沿岸)の音楽を現代化するグルーポ・バイーアも加わって、
ここでしか聴けない贅沢なサウンドになっています。

ルーチョ・ベルムーデス楽団は、管楽器だけで、サックス5、トランペット5、
トロンボーン4もいる大編成。複数の男女歌手を擁していますけれど、
女性歌手の一人が、めちゃチャーミング♡
クレジットに二人の女性の名前があるものの、特定できないのが残念であります。

グルーポ・バイーアは、リーダーのウーゴ・カンデラリオが弾く
マリンバがトレードマークで、このアルバムでもサウンドのキーとなっていますね。
ウーゴ・カンデラリオは、アフロ・コロンビア音楽を広める文化活動として、
このグループを結成しましたけれど、コロンビアを代表するグループとして、
海外の国際的な場で演奏をしてきた25年の実績があります。

トトーが歌うガイタの ‘Margarita’ のグルーヴなんて、やっぱり最高ですね。
縦笛のガイタ・エンブロも大活躍していますよ。
これぞアフロ・コロンビア音楽の饗宴。
こういうアルバムこそ、全世界に流通させなきゃいけません。

Totó La Momposina, Grupo Bahía, Orquesta De Lucho Bermúdez "OJO DE AGUA" Acento Mestizo no number (2019)

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