after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

Searching for good music of the world

カテゴリ: インド洋

Kanella  Amoureuse De Toi.JPG

きゃ~わい~♡♡♡
偶然見つけたYouTubeのヴィデオで、ハート射ぬかれました。

マダガスカルのアイドル女性シンガー、といっていいんでしょうね。
マラガシ・ポップのニュー・スター、カネラちゃんでありまっす!
いつかこのコのアルバムを聴いてみたいなあと思っていたら、
マダガスカルの現地盤のカタログで、運良く見つけちゃいました。

kanella madagascar と打ち込んでググれば、
彼女のヴィデオがYouTubeに2本載っているので、ぜひ観てもらいたいんですけど、
簾のような編み込みのドレッド・ヘアを振り乱し、
華奢な身体で踊るその姿は、まさに熱帯の妖精。
アイドル趣味のないオヤジさえも、夢中になっちゃいましたよ。

カネラちゃんは1992年12月10日生まれ。
アルバムには2009年7月リリースと書かれているので、逆算すると、録音時なんと16歳!
スウィート・リトル・シックスティーン!! ぴっちぴちなわけだぁ。

内容は打ち込みを中心としたトロピカル・ポップで、
80年代ズークを思わせるぎんぎんのデジタル・サウンド。
時代がひとめぐりしてしまったせいか、今このサウンドを聴くと、かえって新鮮に響きますね。
ズークやメレンゲやサルサを取り入れたサウンドは、めちゃくちゃカラフルです。
ヴィデオでも観れる“Katy, Katy” は、
懐かしやメレンブーティ・ガールズを思い起こすメレンハウスで、
四つ打ちを強調したトラック・メイクは、90年代のラテンハウスを思わせます。

サウンドのキーマンは、作曲・アレンジを務めたマックセス・セプシオン。
90~00年代にマラガシ・ポップのスター歌手だったマックセスは、
プロダクションのツボをよく心得ているようです。
ローカルな低予算作とはいえ、キャッチーな曲を揃え、
抜けるような青空と白い砂浜をイメージさせる底抜けのポップ感覚は、
80年代のラ・カンパニー・クレオール以来のハジケっぷりで、胸をすきます。
こんなにケレン味のないトロピカル・ポップを聞けたのは、何十年ぶりでしょうか。

マラヴォワのようなメロディーのクレオール・ポップスもあれば、
レユニオン音楽のマロヤまでやっているのにはビックリ。
コーラス・パートで♪ マロヤ、マロヤ、マロヤ、マロヤ~♪と歌い、
マロヤの特徴であるカヤンブのリズムも取り入れています。
ヴァースのパートはマロヤのメロディーでなく普通のポップス調(セガ?)で、
アクースティック・ギターがハチロクのリズムを刻む、面白い仕上がりとなっています。

マラガシ・ポップでマロヤが聞けるのは珍しいと思うんですが、
カネラは学業のために母親とレユニオンに引っ越したというので、その影響なのでしょう。
アルバムはマダガスカルの首都アンタナナリヴでレコーディングされていて、
学校の休みに里帰りして録音したのかな。
全8曲30分に満たないミニ・アルバムというのが物足りないくらいの、
元気いっぱい、はじけるような若さがまぶしい、カネラちゃんなのでありました。

Kanella "AMOUREUSE DE TOI" Carol Tana Music OMDA45.590 (2008)

Teta  FOTOTSE RACINES ROOTS.JPG

マダガスカルには、個性的なサウンドを持ったギタリストを生み出す土壌があるんでしょうか。
独特のチューニングと奏法で国際的にも有名になったデ・ガリに続き、
新たな才能が南西部チュレアールのツァピキ・シーンから登場しました。

テタことクロード・テタは、67年マダガスカル南部の街、アンパニヒの生まれ。
ツァピキの中心地チュレアールから、140キロほど南に下った街です。
幼い頃からアコーディオン奏者の父やギタリストの兄弟とともに、
地方の祭りやダンス・パーティ、伝統的な冠婚葬祭でツァピキを演奏していたのだそうです。
テタのギターの腕前は、子供時分からずば抜けていて、
村人たちから「妖精の指を持ったギタリスト」と讃えられ、
大家族で貧しくもあったために、13歳で学業を捨て音楽で身を立てる決心をします。

88年に自分のバンドを結成して、マダガスカル南部じゅうに知れ渡るギタリストへと成長し、
やがて首都アンタナナリヴまで評判が届くようになります。
中央進出後はデ・ガリともたびたび一緒に演奏をしたり、
ジャズやブルースなどのミュージシャンとも演奏して、さまざまな音楽を学び取り、
自己のギター・スタイルを磨いていったようですね。
マダガスカルではすでに何枚かアルバムを出しているようですが、
ぼくがテタの名を知ったのは、今回のインターナショナル・デビュー作が初めてです。

このアルバムは、テタのアクースティック・ギターを前面に打ち出していて、
ゲストが加わる2曲を除き、テタの歌とギター以外、
相棒が操る小物打楽器だけというシンプルな内容。
レコーディングはチュレアールと、テタの生まれ故郷アンパニヒの西50キロにある、
アンツェポカという海沿いの町の家で行われています。
ジャケット写真の、質素な板張りの家の中でテタがギターを弾いているのが、
アンツェポカでのレコーディング風景と思われ、
ギターの響きともに波の音や機械音などが加わり、飾らない日常の姿が伝わってきます。

テタのギターは、ツァピキのトゥー・フィンガー・スタイルを基本としていますが、
その流麗なフィンガリングが奏でるメロディ・ラインやフレージングは相当に技巧的で、
泥臭いツァピキとはかなり手触りの異なる、洗練を感じさせます。
面白いのは、ゲストのアコーディオンが加わったツァピキ・ナンバーのごく一部で、
ナインスのコードを使ってモダンなセンスをちらっと聞かせるところ。
この曲以外で、ナインスなどのテンション・ノートはまったく使っていないので、
伝統的なツァピキ・ナンバーでモダンなフレージングを使う対比が、鮮やかな印象を残します。

また、どうしても鮮烈なギターばかりに耳が引き付けられてしまいますけど、
テタの野性味あるヴォーカルも魅力があります。
奔放なかけ声などエネルギッシュな面ばかりでなく、ストーリーテラーのようにじっくり歌ったりと、
幅広いヴォーカル表現を持つ奥行きのある歌いぶりを聞かせているんですね。
ツァピキの泥臭く粗削りな魅力は、テタの歌にこそあり、
タイトルどおり、テタの身体に染み付いたツァピキのルーツがにじみ出た一作となっています。

【お断り】 当初この記事は「ツァピク」と書いていましたが、
その後「ツァピキ」が一般的な読み方と判明したため、タイトル・本文を修正しています。
https://bunboni.livedoor.blog/2015-06-07

Teta "FOTOTSE RACINES ROOTS" Balafomanga 860214 (2011)

Damily Ravinahitsy.JPG Damily Ela Lia.JPG

ツァピキはマダガスカル南西部の冠婚葬祭で演奏される伝統音楽。
マルヴァニ(箱琴)、ロカンガ(フィドル)などの弦楽器とアコーディオンで演奏されますが、
80年代半ばに南西部の街チュレアールでエレキ化されてポピュラー化し、
中央の首都アンタナナリヴにも伝わるようになりました。
地元ではカセットやCDも出ていますが、欧米リリースのCDとしてはコンピレがある程度で、
単独アルバムを出しているのは、このダミリぐらいじゃないでしょうか。

ギタリストの名前がグループ名にもなっているダミリは、5人編成のギター・バンド。
はじけるような細分化されたビートで、きぜわしく疾走するツァピキを痛快に聞かせます。
痙攣するような独特のツー・フィンガー・ピッキングと、
16分音符を多用したウネりまくるベースが聴きどころで、
コンゴのルンバ・ロック、南アのンバカンガやマスカンダの影響をうかがわせる、
タテノリのロック・ビートが特徴といえます。

メンバー各人の作った曲をそれぞれが歌っていて、
ハイトーンのぶっきらぼうな女声がひときわ印象的です。
08年の初CDはエレキ・ギター中心のクリーンなサウンドでしたが、
新作ではアクースティック・ギターをメインに据え、ツァピキの土臭さが強調されるようになりました。

辺鄙な農村地帯のギター・バンドといった雰囲気のツァピキは、
ザンビア周辺国で演奏されるカリンドゥラといい勝負の粗野なローカル・サウンドで、
クラムド・ディスクのヴィンセント・ケニスさんが聴いたら喜ぶかも。
曲が単調なわりには尺が長いので、ずっと聴いているとやや飽きもしますが、
基本はダンス・ミュージックなので、夜通しのパーティではこうじゃなきゃ通用しないんでしょう。

土埃舞うワイルドでトランシーなツァピキの魅力は、新作でさらに増したといえます。

【お断り】 当初この記事は「ツァピク」と書いていましたが、
その後「ツァピキ」が一般的な読み方と判明したため、タイトル・本文を修正しています。
https://bunboni.livedoor.blog/2015-06-07

Damily "RAVINAHITSY" Hélico HWB58004 (2008)
Damily "ELA LIA" Hélico HWB58120 (2011)

Ile Rodrigues.JPG Luc Tan Wee.JPG

19世紀、ヨーロッパの船乗りたちがアコーディオンを携えて海を渡り、
ヨーロッパの音楽を世界の各地に持ち込んでいくのと同時に、
その土地土地の音楽と交わって、数多くの文化混淆音楽を生み出していきました。

ルイジアナのザディコ、ドミニカのメレンゲ、ブラジルのフォロー、コロンビアのバジェナートなどは、
20世紀を跨いだ今なお、アコーディオンがそれぞれの音楽のアイデンティティとなっていますね。
アフリカに渡ったアコーディオンが生み出した音楽というと、
前回のエントリーで「カーボ・ヴェルデのザディコ」と口走ったフナナーがありますけど、
マダガスカルのサレギやインド洋のセガでもアコーディオンがよく使われています。

セガはモーリシャス、レユニオン、セーシェルと広くインド洋で親しまれている音楽ですが、
それぞれの島ごとに特徴があり、そのすべてでアコーディオンが使われるわけではありません。
もともとセガは、黒人奴隷たちが打楽器を伴奏に踊り歌っていたアフロ系音楽だったので、
アコーディオンを使うことによって、クレオール音楽へと変容していったわけです。

なかでも、アコーディオンが盛んなのがロドリゲス島。
モーリシャスの北東に浮かぶ孤島です。
この島ではアコーディオンで演奏するセガをセガ・コルデオンと呼んでいて、
ヨーロッパから伝わってきたポルカやワン・ステップ、マズルカとともに親しまれています。

ロドリゲス島でこれほどアコーディオンが盛んになったのは、
バル・コルデオン(アコーディオン・ダンスホールの意)が
島の社交場として発達したからだそうですが、
アンティーユにカドリーユが息づいているように、ヨーロッパから遠く離れた辺境の島々で、
19世紀のヨーロッパのダンス音楽が今も演奏されているのは、歴史の皮肉とも思えます。

タカンバ盤(祝!入荷)には12人のアコーディオン奏者による現地録音を収められていますが、
まるでヨーロッパのどこかの街町で、辻芸人が弾いているアコーディオンのよう。
明らかにアフリカ系とわかるビートが特徴的なセガ・コルデオンが出てこなければ、
これがインド洋の音楽とは、とても思えないでしょう。

リュック・タン・ウィーという華人系の苗字を持つアコーディオン奏者のアルバムには、
セガはほとんど登場せず、ポルカやワン・ステップが主なレパートリー。
全編、頭の先からシッポまでダンス・ミュージックが詰まったアルバムです。
写真を見る限り華人には見えない顔立ちですが、モーリシャスには客家人が渡ってきた歴史があり、
島の複雑な歴史の生き証人でもあるのでしょう。

V.A. "ILE RODRIGUES VOLUME 2. ACCORDÉON" Takamba TAKA0004 (2000)
Luc Tan Wee "REVOLUTION DE LA DANSE ET MUSIQUE TRADITIONNELLE DE L’ILE RODRIGUES" Vaf Diital Studio no number (2006)

P'tit Frere_8305 Ti Frere.jpg

レユニオンでは古くからセガに西洋音楽が取り入れられ、
ダンスホールで演奏されていましたが、
モーリシャスのセガはフォークロアな姿のまま、
パーカッションを伴奏に歌とコーラスがコール・アンド・レスポンスを繰り返す、
8分の6拍子のディープなアフロ系ダンス音楽として長くその姿を保っていました。
インド系住民が多勢を占めるモーリシャスでは、アフロ系文化は隅に追いやられ、
セガが大衆文化として花開かせるための場がなかったんでしょうね。

モーリシャスで伝統セガに西洋音楽を取り入れ始めたのは、
チ・フレール(プチ・フレール)こと
ジャン・アルフォンス・ラヴァトンだったといわれます。
マダガスカル人でセガの音楽家だったチ・フレールの父親は、
アコーディオンやバンジョーを加えたセガをすでに演奏しており、
チ・フレールは父親からセガを学んだそうです。

チ・フレールは50年代にアコーディオンとトライアングルの伴奏で歌った
“Anita” “Angeline” “Charlie Oh” などの曲を録音したSPを残しますが、
モーリシャスの社会で評価を得ることもなく、引退状態にあった64年に
セガのコンテストで「セガのキング」の称号を得て、ようやく脚光を浴びます。

写真のSP原盤をもとにしたインド・プレスのシングル盤は、
その当時に出たものと思われます。
このシングルにも収録された上記3曲はオコラ盤CDにも収録され、
モーリシャスのルイ・アームストロングとも例えられた
チ・フレールのひびわれた歌声を聴くことができます。

ポップ化されたといってもずいぶんと素朴なもので、
本格的なクレオール・ポップとしてダンス・ミュージック化したセガに変貌するには、
チ・フレールのもう一つあとの世代にあたる
セルジュ・ルブラッセの登場まで待たなければなりませんでした。

[7インチ] P’tit Frère et Ses Segatiers "Anita / Ma Bohema / Angeline /Charlie Oh" レーベル名なし 8305
[CD] Ti Frere "ILE MAURICE : HOMMAGE A TI FRERE" Ocora C560019 (1991)

Claude Vinh-San_OM45-2077S.jpg Claude Vinh-San_OM45-2078S.JPG

Claude Vinh san_OM45-2106S.jpg Claude Vinh san_OM45-2153.JPG

Claude Vinh San_25019.JPG Clauude Vinh San_J32018.jpg
  
前回ヴェトナム最後の王朝グエン王朝(阮朝)の話が出て、
インド洋に浮かぶレユニオン島でセガの楽団を率いた、
クロード・ヴィン・サンを思い出しました。

クロード・ヴィン・サンはヴェトナム阮朝第11代皇帝・維新帝の息子として
レユニオンに生まれました。
なぜレユニオン?と思われるでしょうが、
阮朝第11代皇帝・維新帝は宗主国フランスに反乱を企て、
その反乱の計画が実行前にフランスへ洩れてしまい、
レユニオンへ流刑に処されてしまったのです。
そんな数奇な運命のもとに生まれたクロード・ヴィン・サンは、
ヴェトナム名をバオ・バンといい、青年期には故国ヴェトナムへ渡り、
サイゴンのリセでヴェトナム語も学びますが、
レユニオンに帰ってマルチ・プレイヤー兼作曲家となります。

クロードは57年に自己の楽団ジャズ・トロピカルを結成、
71年の解散までレユニオンのダンスホールで活躍したといいます。
写真最上段の2枚は、60年前後にリリースしたクロード初のシングル2枚です。
シングル盤のサブ・タイトルに「セガ・クレオール」とあるとおり、
この当時のセガは、同時期のフレンチ・カリブ(マルチニーク、グアドループ)同様、
魅惑的なクレオール・ミュージックを奏でていたんですよ。
LP化されなかったため、長い間世間に知られない埋もれた音楽となっていましたが、
21世紀に入り、レユニオン文化事業の一環で誕生したタカンバというレーベルから、
豪華なCDブック形式の素晴らしい編集アルバムが昨年リリースされました。

Claude Vinh San.jpg

タカンバがリリースしているヴィンテージ・セガの編集アルバムはどれも名作揃いなのに、
いっこうに日本へ入ってこないのが残念でなりません。
ぼくも「レコード・コレクターズ」誌で熱心に紹介してきたつもりなんですが、
どうして入荷できないんでしょうね。個人では輸入できるのに。

[EP] Claude Vinh-San et Son Orchestre Jazz Tropical "FOLKLORE RÉUNIONNAIS NO.3" Festival OM45-2077S
[EP] Claude Vinh-San et Son Orchestre Jazz Tropical "FOLKLORE RÉUNIONNAIS NO.4" Festival OM45-2078S
[EP] Claude Vinh-San et Son Orchestre Jazz Tropical "DANSEZ LE SÉGA NO.10" Festival OM45-2106S
[EP] Claude Vinh-San et Son Orchestre Jazz Tropical "SURPRISE PARTIE A LA RÉUNION" Festival OM45-2153S
[EP] Claude Vinh-San et Son Orchestre Jazz Tropical "FOLKLORE RÉUNIONNAIS" Didar 25.019
[EP] Claude Vinh San et Son Orchestre "Ton P'tit Gueule Rose / Duo Sega" Jackman J32018
[CD] Claude Vinh San "CLAUDE VINH SAN ET LE JAZZ TROPICAL" Takamba TAKA0814

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