after you

bunboni こと 荻原和也 の 音楽案内所 musicaholic ブログ(隔日刊 2009年6月2日より)にようこそ。

『ミュージック・マガジン』7月号にディノ・ディサンティアゴのインタヴュー記事を寄稿しました。ぜひお読みください。

カテゴリ: 南アジア

Nusrat Fateh Ali Khan & Party  CHAIN OF LIGHT.jpg

ヌスラット・ファテ・アリー・ハーン、90年の未発表録音!
ヌスラットが世界のリスナー相手に国際的に活動し、
パキスタン国内ではあり得ない、さまざまな音楽的なチャレンジングをして、
もっともクリエイティヴだった時代のものじゃないですか。

この時代でお蔵入りにしていた音源があっただなんて、
リアル・ワールドにはキュレーションする能力が皆無なのか。
リアル・ワールドのボンクラぶりは、これまでにもキューダンしてきたけれど、
https://bunboni.livedoor.blog/2015-12-18
今回のリリースは快挙というより、正直胕煮えくり返ったなあ。

90年のリアル・ワールドでのヌスラットといえば、
あの醜悪なカッワーリー・ワールド・フュージョン作
“MUSTT MUSTT” を出した年じゃないですか。
悪名高いマイケル・ブルックのクロスオーヴァー・セッションでヒットを生んだ陰で、
こんな素晴らしいスタジオ録音を残すも、そのまま捨て置いただなんて、
もう、リアル・ワールドを最高に汚い言葉で罵ってやらにゃあ、気が済みません。

このアルバムを聴いてすぐに連想したのが、
91年の最高傑作 “SHAHBAAZ” です。
この作品も早々に廃盤にしたファッキン・リアル・ワールドですけれど、
本作でヌスラットは、カッワーリーをパキスタンのスーフィーの祈祷音楽という
特殊なポジションから、黒人教会音楽ゴスペルと同等の、
ポピュラーな地位にまで引き上げる音楽性を獲得したとぼくは考えています。

オープニングからアクセルいっぱいに踏み込んで、
西洋人の耳を鷲掴みにしてしまうアレンジの妙。
パキスタン現地で奏されるゆったりとした前奏は省いてしまい、
いきなり本論から始めるように、キャッチーなテーマをアタマに持ってくる構成は、
ヌスラットが西洋人の聴衆を前にクリエイトしてきた成果でしょう。
ヌスラットが歌うサレガマの奔放なヴォーカリゼーションの即興も、
宗教的陶酔を巻き起こす宗教音楽としての本来の機能から離れ、
ジャズのインプロヴィゼーションと同等の芸術性を帯びるまでに磨き上げられています。

ヌスラットを “MUSTT MUSTT” でしか聞いたことのない人には、
本作や “SHAHBAAZ” を聞けば、ゴリゴリの伝統的なカッワーリーと思うでしょうが、
ここには伝統カッワーリーにはないヴォーカル・ハーモニーや、
手拍子とタブラの変化に富んだリズム、そしてヌスラットのリードと
セカンドのヴォーカルによるサレガマの即興の掛け合いなど、
熱狂へ導くためのさまざまなアイディアと工夫がふんだんに施されているのです。

フォーマットこそ伝統音楽のままながら、
ここで聞ける音楽はヌスラットがクリエイトした芸術音楽といって過言じゃありません。
その昔、若林忠弘という偏狭な民族音楽演奏家が、
「現地の良識者や本物カッワールを知る人は酷評します」と
一所懸命ヌスラットをコキおろしていましたが、
そんな原理主義者の歪んだ嫉妬を招き寄せる天賦の才が、ここにあるのです。

Nusrat Fateh Ali Khan & Party "CHAIN OF LIGHT" Real World CDRW256

Nayyara Noor  NAYYARA SINGS FAIZ.jpg

あけましておめでとうございます。
2024年の年初めは、ナイヤラ・ヌールのガザルにしようと思っています。

暮れにエル・スール・レコーズへ寄ったさい、
原田さんがナイヤラ・ヌールの “NAYYARA SINGS FAIZ” の
インド盤LPを手に入れたということで聞かせてもらったんですが、
やっぱり、いいなあと二人で相好を崩したばかりなんですよ。

ナイヤラ・ヌールのこの名作は、
07年にインドで出たリマスターCDで聴いていましたが、
もう何十年も棚の肥やしとなったまま。
ガザルばかりじゃなく、インドやパキスタンといった南インドの音楽と
すっかり疎遠になっていたのに気付いて、
それじゃ新年にゆっくり聴き直そうと、愉しみにしていたわけです。

50年インド生まれのナイヤラ・ヌールは、
家族とともにパキスタンへ移り、プレイバック・シンガーとして活躍した人。
今回調べて初めて気づきましたけれど、
おととし22年8月20日に亡くなられたんですね。
ナイヤラ・ムールの名声は、プレイバック・シンガーとしてよりも、
現代ウルドゥー語の詩人が書いたガザルを数多く歌ったことで高まり、
清々しい歌声で聞かせたロマンティックな恋愛詩が絶賛されました。

ナイヤラの代表作は、
パキスタンの詩人で社会活動家のファイズ・アハマド・ファイズの詩に、
アルシャド・マフムードとシャーヒド・トゥージーが曲をつけた76年のアルバム。
のちにインドでリマスターCDが出たように、
パキスタン・インド両国で高い評価を得た、ガザル名盤中の名盤です。

シタール、タブラ、ハーモニウムなどの軽古典の楽器編成に、
ピアノ、ギター、ヴィブラフォンを加え、
のちのポップ・ガザルの原型ともいうべきサウンドにのせて、
ナイヤラの柔らかな発声が優美な世界へといざなってくれます。

気負いのない力の抜けた歌いぶりに、
アジア歌謡における歌唱の美学が詰まっていて、
おだやかで静かな正月を迎えるのに、うってつけのアルバムでしょう。

Nayyara Noor "NAYYARA SINGS FAIZ" EMI/Virgin 50999-500041-2-6 (1976)

Nusrat Fateh Ali Khan  Live at WOMAD.jpg

ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンを知ったのは、
82年の2枚組LP“MUSIC AND RHYTHM” に収録された1曲がきっかけでした。
このレコードは、ブルンディ・ドラムに始まり、
ホルガー・シューカイの‘Persian Love’ で締めくくられる、
伝統音楽から最新のポップ音楽まで21組のアーティストを収録したコンピレーション。
ワールド・ミュージック(当時まだその言葉はなかったけれど)の祭典
ウォーマッドがここからスタートした、記念碑ともいうべきアルバムでしたね。

で、このレコードでぶったまげたのが、ヌスラットだったのです。
カッワーリーそのものも初体験なら、
これが宗教音楽だというのだから、ビックリさせられました。
ヌスラットとコーラスが丁々発止の即興で掛け合うインプロヴィゼーションは、
ジャズのスリリングなインタープレイと全く変わることのない興奮を巻き起こします。
手拍子とコーラスとともに高揚していく、そのテンションの高さに圧倒され、
この1曲でヌスラットの名前は、ぼくの脳裏にしっかと刻み込まれました。

Nusrat Fateh Ali Khan  En Concert A Paris.jpg

それからだいぶ間が空き、87年の春になって、
ようやく待望のヌスラットのアルバムが出たんですね。
フランスのオコラから出たパリのライヴ盤は、期待にたがわぬ素晴らしい内容で、
連日のヘヴィ・ロテ盤となりました。そんなさなかの9月、
ついにヌスラット一行が初来日してくれたのです。

「アジアの神・舞・歌」と題する国際交流基金が招聘したコンサートで、
会場は国立劇場でしたね。ヌスラットの単独公演ではなく、
トルコのメヴレヴィー教団の旋回舞踏や雲南省の歌舞、アイヌ古式舞踏との
抱き合わせ企画だったんですが、ヌスラットのパフォーマンスは飛び抜けていました。
84年、キング・サニー・アデのライヴ以来の衝撃でしたよ。

ヌスラットのソロからコーラスに移って、ぐんぐんと盛り上がっていく場面や、
歌がすっと消え、場面を暗転させるように、タブラと手拍子のリズムだけになる
瞬間のスリリングさ。はたまた、ヌスラットがコーラスに割り込んで即興する
手に汗握る場面など、絨毯の上に座した男たちが、両手を広げたり、手のひらを
さまざまに動かしながら歌う、初めて見るカッワッリーのパフォーマンスに
目を見張りましたよ。
ダンス・ミュージックではないから、シートで大人しく座っていたわけですけれど、
観ているだけでも血沸き肉躍ってしまって、
身体が熱く火照って、どうしようもありませんでしたね。

その後、ヌスラットたちは何度も来日して、
五反田のゆうぽうとや横浜のウォーマッド(ヌスラットが立ち上がって歌い、
サンディーがひれ伏したあのライヴです)でも観ましたけれど、
やはり87年の国立劇場での衝撃がなんといっても一番です。

さて、今回34年ぶりに陽の目を見た、
85年の第1回ウォーマッドでのライヴ・パフォーマンスは、
ヌスラット一行が初めて西洋の観客の前でやったもの。
オコラ盤のパリ・ライヴの4か月前となる、7月20日深夜にレコーディングされました。
言葉の通じない、ましてや宗教も異なる西洋人を前でも、ヌスラットにアウェイ感などなく、
ダイナミックな即興のパフォーマンスと変幻自在なリズム使いで、観客を圧倒します。

のちにヌスラットが、西洋人の前では、
リズムを強調して歌うとインタヴューで答えていたように、
聴衆の反応を見ながら、当意即妙に場を作り上げていくパフォーマーとしての才能は、
パキスタンの霊廟で歌うカッワールにはない、類まれなる資質を示すものでした。

Nusrat Fateh Ali Khan & Party "LIVE AT WOMAD 1985" Real World CDRW225
Nusrat Fateh Ali Khan "EN CONCERT A PARIS VOL.1" Ocora C.558658 (1987)

Tops and Pops in Konkani Music.jpg Alfred Rose & Rita Rose.jpg

評判の映画『さすらいのレコード・コレクター~10セントの宝物』を観てきました。
主役のジョー・バザードといえば、戦前ブルースや
アメリカン・ルーツ・ミュージックのファンにはよく知られたコレクターで、
最後のSPレーベルとして話題を呼ぶフォノトーンを主宰して、
自身が所有するSP盤をリイシューしている、度外れたレコード・コレクターです。

期待して映画館に足を運んだんですけれど、う~ん、アテが外れたかなあ。
この映画が捉えていたジョー・バザードは、コレクターとしてはフツーの姿ですよねえ。
レコード・ハンティングのためにここまでするのかみたいな意外性はまったくなく、
物足りなく思えたのは、
ぼくがクレイジーなコレクターを知りすぎているからかもしれません。

アフリカや東南アジアにレコード・ハンティングに出かけていって、
炎暑の倉庫の中、動物の糞尿をものともせず、汗まみれになりながら、ネズミや虫と格闘し、
脱水症状になるのもいとわず、レコードを掘り続けるようなイカれたコレクターに比べたら、
ジョー・バザードはきわめてマットーというか、常識的なコレクターに見えます。

もっといえば、コレクターの世界では、レコードなんてスケールが小さくて、
アートや骨董の世界に目をやれば、名家の財産を食いつぶしたり、
征服した未開地から略奪した品で博物館を建てたりと、
ケタ違いのもっと生臭い物語が、ざっくざくありますからねえ。
この映画より、最近読んだ本『伝説のコレクター 池長孟の蒐集家魂』
(大川勝男著 アテネ出版社)の方が、はるかにエキサイティングでした。

生涯を南蛮画蒐集に心血注いだ池長孟の物語を読んでいて、
あ~、誰か、インドのゴアでレコ掘りしてきてくれないかなあなんて、
つい連想しちゃいましたよ。

長い間ポルトガルの植民地だったゴアに、
インド音楽とはまったく異質の南海歌謡音楽が存在することを知ったのは、
70年代末に入手した2枚のインド盤LPがきっかけでした。
コンカニ語で歌われるその歌は、その後に知ったインドネシアのオルケス・ムラユを思わす、
魅惑の南洋歌謡そのもので、いっぺんでトリコになりました。

オルケス・ムラユは、ワールド・ミュージック・ブームで復刻が進んだものの、
コンカニ音楽はまったくかえりみられないままで、
ぼくにとっては、30年近くずっとナゾの音楽であり続けました。

これほどエキゾティックな歌謡はほかにないんじゃないかというサウンドは、
8分の6拍子など3拍子系の独特のリズムにのせて、スパイシーな香りを放つもの。
そのリズムは、マレイシアのジョゲットやスリ・ランカのカフリンニャにバイラ、
さらにはインド洋音楽のセガとも繋がり、
ポルトガルが海上覇権を確立するために、
貿易拠点となる都市を制圧してきた歴史を映したものといえます。
そのポルトガルが海上帝国の中心都市としたゴアは、
ポルトガルの植民地として1974年まで占拠され続けました。

KONKANI SONGS  MUSIC FROM GOA - MADE IN BOMBAY.jpg

ポルトガル植民地時代のゴアに花開いたコンカニ音楽は、
09年にドイツのトリコントが往年の録音をコンパイルして、
ようやくその正体がみえかけたものの、リイシューされたのはその1枚きり。
70年代末に偶然ぼくが見つけたLPの主、アルフレッド・ローズは、
50年の活動期間の間に6000曲もの作品を残した重要人物ということがわかりましたけれど、
宝の山は、今だスリ・ランカのカフリンニャと同じく、眠ったままなのであります。

[LP] V.A. "TOPS AND POPS IN KONKANI MUSIC" EMI ECSD2397
[LP] Alfred Rose & Rita Rose "ALFRED ROSE & RITA ROSE" EMI ECSD24
V.A. "KONKANI SONGS : MUSIC FROM GOA - MADE IN BOMBAY" Trikont 0395

Indian Talking Machine.jpg土埃にまみれ、山積みにされたSP。
鼠など小動物の糞尿の匂いが
漂ってきそうな写真の数々に、
吐き気を催すか、
うわぁ~と目が釘づけになるかが、
フツーの音楽ファンと、
レコード・マニアの分かれ目でしょうか。

ずしりと重い244ページの写真集に、
CD2枚が付いたCDブック。
インドの骨董屋や倉庫に積み上げられた大量のSPの写真は、
ページをめくるたび、眩暈をおぼえそうな光景の連続で、
レコード・マニアなら口あんぐり、
ヨダレたれっぱなしになることウケアイです。

エクスペリメンタル・サウンド・ユニットのクライマックス・ゴールデン・ツインズのメンバーで、
SPコレクターとして知られるロバート・ミリスが、フルブライトの研究員として、
12~13年にインドへ現地調査・収集を行った成果物であります。

レコード・コレクターの目を通じ、
78回転盤時代のインド・レコード産業を研究するというテーマで、
奨学金がもらえるだなんて、そんなおいしい話が世の中にはあるんですねえ。
世界中のレコード・コレクターの羨望と嫉妬の眼差しを集めそうな、
「奨学金もらってレコ掘り・イン・インド」であります。

CDには、この研究調査で集めた1903年から49年までの録音46曲が収められていて、
SPからのトランスファーは、
“OPIKA PENDE : AFRICA AT 78 RPM” のジョナサン・ウォードが担当。
https://bunboni.livedoor.blog/2011-12-15
音質は上々で、古典音楽から大道芸まで雑多に詰め込まれています。
個々のトラックに聴きものは多いんですが、選曲に特段の意図は感じられません。

本の方も、各曲簡単な解説はあるものの、インド・レコード産業黎明期時代の解説がなく、
やはりこれは研究書ではなく、SPコレクターのレコ掘り自慢がメインの写真集でしょう。
わずか2年の収集調査とはいえ、4万5千枚を超すチェンナイのコレクターのSPコレクションや、
ムンバイ郊外に1万枚のSPを保管しているコレクターといった大物にぶち当たっているので、
かなり効率的に集めることができたようです。
インドには金持ちの知識層に古典音楽マニアが多いから、
ケタ違いのコレクターがいても、さほど不思議はありません。

写真集の解説には、苦労話がちっとも出てこないので、楽勝なレコ掘りだったんじゃないのかな。
それゆえなのか、同じ雑多な編集内容でも、
いにしえの東南亜細亜音楽を編集した4CDボックス
“LONGING FOR THE PAST : THE 78 RPM ERA IN SOUTHEAST ASIA”
のような深みが感じられません。
https://bunboni.livedoor.blog/2013-10-15
SPコレクターが長年コツコツと集め吟味してきたような「鍛え抜いた感」が、
このコレクションにはないからでしょう。
そんな感想も、やっかみが半分以上なのではありますが。

ま、いずれにせよ、良い子の音楽ファンには無用な、
SPを偏愛するレコード・マニア向けのCD写真集。
1000部限定というけど、そんなに需要があるのかなあ。その半分で十分なのでは。

[CD Book] Robert Millis "INDIAN TALKING MACHINE: 78 RPM RECORD AND GRAMOPHONE COLLECTING ON THE SUB-CONTINENT" Sublime Frequencies SF099 (2015)

東京在住の音楽ファンの楽しみのひとつに、各国大使館が代々木公園で行うイヴェントがあります。
各国料理に舌鼓を打ちつつ、現地盤CDを探す楽しみもありますけど、
商業公演ではとても実現しそうにない、意外な歌手やミュージシャンが来日したりするから、
事前のプログラム・チェックが欠かせません。
なんせ、時にはびっくりな大物が出演したりしますからねえ。
2008年のブラジル・フェスティバルではなんと、ジョルジ・ベン・ジョールが来たんですよ!
これが入場無料のフリー・コンサートで、日本に暮らすその国の人たちと
一緒になって楽しめるんだから、行かないわけにはいかないでしょう。

0325 Badar Ali Kahn 1.JPG 0325 Badar Ali Kahn 2.JPG

で、先週の日曜日、パキスタン・バザール2012に行ってまいりました。
お目当ては、本国パキスタンから招聘されたカッワーリーの実力派若手グループ。
バダル・アリー・ハーンという名前は知りませんでしたが、
ひさしぶりに聴ける生カッワーリーに、期待わくわく。

0325 Badar Ali Kahn 3.JPG

いやぁ、楽しかったあ! 期待以上のパフォーマンスでしたね。
ヌスラットを別にすると、これまで日本で観たカッワーリーでは最高のものでした。
やっぱりカッワーリーは、お上品なコンサート会場で観たって、雰囲気が盛り上がりません。

0325 Badar Ali Kahn 4.JPG

代々木公園のステージは、パキスタン人・日本人入り乱れてダンス!ダンス!ダンス!
観客が振舞うお捻りでドル札が舞い、聖者廟で歌われる現地さながらの熱狂ぶり。
40分の予定時間はとっくにオーヴァー。次に予定されていたプログラムを蹴散らし、
2時間弱たっぷりの大熱演。観客は興奮のるつぼと化しました。
村山先生とサラーム海上さんも裏方に回り、観客にお捻りを促しつつ、
ばらまかれたお札の回収に汗を流されていました(おつかれさまでした)。

0325 Badar Ali Kahn 5.JPG 0325 Badar Ali Kahn 6.JPG

カッワーリーのコンサートでは、イスラーム神秘主義うんぬんという口上に、
つい神妙な顔をして聴いてしまいがちになりますけれど、
曲の終わりにお行儀よく拍手してるだけじゃ、ぜんぜん盛り上がりませんって。
カッワールが煽る即興に呼応して踊りまくれば、歓喜のトランスもやってこようというものです。
ぼくの隣で、「パキスタン音楽、やべぇ、やべぇよ」と言いながら踊ってたおニイちゃん、
面白かったなあ。「やばい」のはパキスタン音楽じゃなくて、カッワーリーなんだけど。

代々木公園のイヴェントは、その音楽が聞かれる場の楽しさを、
現地の人から教えてもらえる貴重な機会でもあります。

Meena Kumari.JPG

エル・スールの原田さんに教えてもらった一枚。
ミーナ・クマリという名前をぜんぜん知らず、どういう人?と訊いたら、
独立前のインドで天才子役として人気を博し、
50~60年代に悲劇のヒロインを演じた女優兼歌手で詩人でもあった人とのこと。
役どころと同じ不幸な実生活を送り、39歳の若さでアルコール依存症で早世した、
インド映画界の伝説的な悲劇の女王だそうです。

ミーナにはプレイバック・シンガーのような完璧な歌唱力はなく、
その歌いぶりは不安定ともいえるんですけど、
その不安定さが歌い手のぬくもりとして伝わってきて、う~ん、これがいいんですよ。
歌の導入部で語りが入るパートなんか、幸薄そうな声でせつせつと語っていて、
男としては黙っていられなくなりますね。

インドというとすぐ連想してしまうキンキン声とは無縁の、落ち着いた柔らかな声も魅力的。
歌われている曲は、白黒トーキー時代のヒンディー映画音楽らしく、
ウルドゥー語によるしとやかなガザル集で、そのたおやかな歌声に聴き惚れてしまいます。

このアルバムは、ミーナが書いたウルドゥー語の詩に、
大御所の映画音楽の作曲家ハイヤームが曲を付けたものだそう。
ミーナの歌声に寄り添うサントゥールやサーランギなどの控えめな伴奏が、
薄幸な人生を歩んだ悲劇のヒロインを彩り、
その実人生とも写し絵のようになった、儚げな美しさに溢れています。

中高年男性が枕を濡らす、秋の夜長盤がまた1枚増えました。

Meena Kumari "I WRITE I RECITE" Universal CDNF480

Desomond & The Clan.jpg Desmond Pays Tribute.jpg

スリ・ランカのバイラといえば、その昔、ニハール・ネルソンとアンタン・ジョーンズの2枚が
日本盤として出たこともありましたが、今ではもう完全に忘れ去られている音楽でしょうね。
90年代のバイラのアルバムは、歌手が誰だろうとバックはみな同じの粗製乱造の典型で、
トリニダッドのソカ同様、熱心に聴く気になれないジャンルのひとつでした。

チープな鍵盤系のサウンドがプロダクションを支配し、
一本調子のビートがひたすら疾走するアッパー系音楽であるところも、どこかソカによく似ています。
ソカはレストン・ポールか、フランキー・マッキントッシュがアレンジした作品ばかりで、
どれも同じサウンドとなっているように、バイラのレコーディングも、バックを務めるのが
ジプシーズとサンフラワーの寡占状態となっていることが、
プロダクションの質を落す原因となっていました。

そんなダメダメなプロダクションの変化に、ぼくが気付いたきっかけは、
バイラのトップ・スター歌手、デズモンド・デ・シルヴァの05年のアルバムでした。
シンセ一辺倒だったサウンドから一転、
アコーディオン、ヴァイオリン、マンドリンといったアクースティックな楽器を使い、
カフリンニャ時代を思わせる南国歌謡のノスタルジックな響きを醸し出しています。
思わず、「そうそう、こういうサウンドで聴きたかったんだよ」と喜んでしまいました。

実はこのCD、代々木公園で恒例になっているスリ・ランカ・フェスティバルでの貰い物。
ゴキゲンなバイラがかかっていた店のオヤジに、「これ誰?」と訊いたら、
「デズモンド・デ・シルヴァだよ!」というので、「いいねー」とかいいながら、
オヤジと一緒にケツ振りながら踊ってたら、オヤジに気に入られて、CDを貰ってしまったんでした。

そして、デズモンドのノスタルジック路線が本格的になったのを感じたのは、
07年に出た『ウォーリー・バスチャン・トリビュート集』でした。
ウォーリー・バスチャンは40年代にコーラス・バイラと呼ばれるスタイルを築いたパイオニアで、
「バイラの父」と称され、いまなおシンハラ人に敬愛されている歌手です。

ちょうど今月号の「レコード・コレクターズ」で、
ウォーリー・バスチャンのヴィンテージ録音集を紹介しましたけど、
そのウォーリーの曲を集めたデズモンドの新作は、
ヴァイオリン、マンドリン、バンジョー、ハーモニカなどの生音をいかしたアンサンブルで、
05年作の路線をさらに推し進めたカフリンニャの香り高いサウンドを聞かせてくれます。
デズモンドもこれまで以上に、コミカルな歌い口でバイラを歌っていて、
デズモンドの代表作と呼ぶのにふさわしいアルバムに仕上がっています。

Desmond De Silva & The Clan "MAL WAGE BAILA" Torana Music Box SPSK2121 (2005)
Desmond De Silva "PAYS TRIBUTE TO THE LEGENDARY WALLY BASTIAN" Maharaja Entertainments 4790238 (2007)

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